現地調査による2005年パキスタン地震の地震断層
粟田泰夫・金田平太郎(産業技術総合研究所活断層研究センター)
堤 浩之(京都大学)・中田 高(広島工業大学)
Ahmad HUSSAIN, Waliullah KHAHAK, Muhammad ASHRAF, Adnam Alam AWAN
(Geological Survey of Pakistan)
Robert S. YEATS(Oregon State University)
はじめに
産業技術総合研究所活断層研究センターの粟田泰夫(地震テクトニクス研究チーム長)を代表とする産総研・京都大学・広島工業大学の合同現地調査チームは,2005年10月8日にパキスタン北部カシミール地方のムザファラバード(Muzaffarabad)周辺で発生したMw7.6(アメリカ地質調査所)の発生源となった活断層について,パキスタン地質調査所(Geological Survey of Pakistan)の全面的な協力のもと,現地調査を実施した.第1次の予察的な現地調査は2006年1月20日から22日に実施し,既存の活断層に沿って地震断層(地表断層変位)が出現したことを確認した.この地震断層について報告する.なお,引き続き1月24日から28日まで,第2次の予察調査を実施したが,これについては別に報告する予定である.
活断層と地震断層の概要
地震断層は活断層が明確に認められる最北端のバラコット(Balakot)から南のチッカール(Chikkar)まで,北北西-南南東に長さ約60kmにわたって出現したことは確実と思われる. ENVISAT のデータを解析した国土地理院やCOMET (英国)の解析では,大きな隆起域が既存の活断層線に沿ってその東側に集中している.
活断層が確認できな南部地域のうち,地殻変動量が比較的大きな地域で,フランス人研究者とパキスタン地質調査所の研究者によって3m近い地表変位があったとの報告もあり,地震断層はさらに南に数10km延びる可能性がある.これに関しては詳細な調査を継続中であるが,これまでの調査で明確な地震断層が確認された数地点についてその状況を速報する.
今回の地震を発生させた活断層の一部は,Nakata and others(1991)によって長さ16kmのタンダ(Tanda)断層としてその存在が知られていた.また,Nakata and Kumahara(2006)は,地震直後にCORONA衛星写真の判読し,ムザファラバードからバラコットに向かって北に延びる活断層をムザファラバード断層として図示した.現地調査の結果,Nakata and Kumahara(2006)のタンダ断層とムザファラバード断層の一部は連続した一連の断層であり,ムザファラバード断層の南部は,Tapponier(2006)が指摘するジェラム(Jhelum)断層の一部にあたる可能性が高いことが明らかとなった(第1図).ただし,ジェラム断層に沿っては,今回の地震の際に活動した証拠は見つかっていない.
パキスタン地質調査所の研究者との討議の結果,今回の地震を発生させた活断層を,断層の北端部に近いバラコットと南部の主要な町であるガリ(Garhi)の名称を採用して,バラコット-ガリ断層(Balakot-Garhi fault)と仮称することとした.
バラコット-ガリ断層は,本地域に発達する主要な地質構造線にあたる主境界断層(Main Boundary Thrust)とは一致せず,外ヒマラヤ(Sub-Himalaya)の第三紀層中に発達する地質断層に沿って発達している.
第1図 調査地域の活断層(Kumahara and Nakata, 2006)
地震断層の記載
今回の予察調査によって確認された次の4地点の地震断層の特徴について,北から順に記載する.
1.バラコット(Balakot)周辺(第2図)
地震断層の北端部付近に位置し,丘の西向き斜面に位置していた旧市街地が壊滅的な被害を受けた.地震直後よりこの丘の成因については,断層変位地形である可能性が高いことが指摘されていた(国土地理院・熊木洋太氏が最初に指摘).また,日立ソフト(株)が公表した地震前後のQuickBird画像から,この丘の南延長部にあたるクンハール(Kunhar)川の河床が地震後に隆起した可能性も指摘された(国土地理院・宇根 寛氏が指摘).また,丘と河床を結ぶ線上で,この線にほぼ直行する道路と橋の破壊が認められたため,地震断層が出現した可能性が高いと判断し詳細な調査を行った.その結果,丘と道路の間の低位段丘面上に明瞭な東上がりの撓曲変形が発見された(第一発見者・粟田泰夫)(第3図).地表変形帯内にある建物は壊滅的な被害が認められるほか噴水の水盆や畑等が西に向かって傾動しており(第4図),この変形は丘の斜面の西向き撓みと整合的であった.変形帯の幅は低位段丘面上では目視できる範囲では約20mで,撓曲変位量は2.6m相対的に東上がりであった.変形は非対照的なドーム状で,微弱な変形も含めると変形帯はさらに広いものと思われる.地盤の変形量は,場所によって変化しており,目視のみによって変形を確認することが困難な場所もある.
したがって,バラコットの丘は熊木氏が指摘したとおり断層変位地形であり,その西向き斜面は撓曲崖にあたる.西方のメッカに向かって礼拝を行う回教徒にとってこの斜面は理想的な居住空間であり,1971年9月15日に撮影されたCORONA 衛星写真からバラコット市街地の発展はこの丘からはじまり,クンハール川に近い段丘上に拡大していったことを知ることができる.今回の地震では,その斜面が断層変位に伴い地盤変形と破壊を受けるとともに,ディレクティビティ効果(Directivity effect)も加わって極めて激しい揺れと変形によって建物の全て(いくつかの貯水タンクを除く)が破壊され,住民の85%にあたる1661名の犠牲者を出す惨事になったと考えられる(第5図).
バラコットの丘および断層近傍で建物被害が極めて激しいのに対して,丘の西に広がる扇状地面や斜面にある建物には倒壊を免れたものが少なくなく,被害に際立ったコントラストが認められる(第6図).これは,1896年陸羽地震などの逆断層型歴史地震に見られたように,逆断層の上盤側での被害が下盤側に比較して大きい(松田他,1982)ことと整合的である.
また,クンハール川の東岸の沖積錐などの堆積面上に位置する集落の被害も甚大である.この地域では,東の山地斜面基部に位置する河谷屈曲を伴う活断層がみとめられる.上述の境界部では地割れや崩壊が多発しており,地震断層が地表に出現した可能性もあるが,今回の調査では,断層変位を示す明確な証拠は得られなかった.さらに,この断層とバラコットの丘の西麓に位置する活断層との間にはもう一つの分岐断層の発達しており,ディレクティビティ効果も相まって建物被害も大きくなったものと推定される.しかしながら,現在までのところこの分岐断層に沿って地震断層が出現したことは確認されていない.土木学会の報告などから,バラコット南東の主要道に懸かる橋が橋脚から南に約1mほど平行移動したことからが知られており(第7図),分岐断層に挟まれた地域の地震動加速度は1Gを超える極めて大きいものであった.
2.ムザファラバード市街北部,バンディ ミール ハムダニ(Bandi Mir Hamdani)付近(第8図)
今回の地震で州都ムザファラバード市では,多くの建物もが倒壊し,18,000人もの犠牲者がでた.このうち,市街地の北に位置するバンディ ミール ハムダニのニーラム(Nilam)河の西岸では,東西方向に延びる南向きの比高10-15m急斜面上にあった家屋はことごとく倒壊し,周辺の被害とは際立った違いを呈した(土木学会の報告書に写真が掲載されている)(第9図).国土地理院の宇根 寛氏は,東西方向に延びるこの急斜面が断層崖である可能性を指摘していた.中田はこの斜面の西側延長線上に,河谷の系統的な左屈曲を指摘していたが,崖の連続性が悪く成因を川の側方浸食によっても説明できること,また崖の頂部に重力性の地割れが発達することなどから,断層起源ではない可能性も考えられた.
この崖については,地震直後に現地調査を行ったパキスタン地質調査所の研究者やオーストリアのシュナイダー博士などから地震断層起源のものであるとの指摘や報告がなされている(Schneider,2006).我々の現地調査によって,この崖の基部に沿って新たに北上がり約3mの撓曲崖が地震に伴って形成されたことが確認された.ニーラム川の河岸に近い場所では,若い河床堆積物が撓曲し,それに伴って氾濫原にあたる沖積面が北に約3m撓み上がる様子が認められた(第10図).この変形は上述の急斜面の形態と調和的である.河岸より西に向かっては,変形が既存の急斜面の基部に一致して発生しており,重力性の斜面崩壊と変形が重なるため,地震に伴う変形量を正確に知ることが困難になる.斜面頂部の傾斜変換部には重力性の引張地割れが多数発達している.
河岸から約300mの地点以西では,既存の断層崖は河川の側方浸食によって北側に後退しており,地震断層に伴う新たな地表変形はこの急斜面の基部から僅かに南に出現するため,地震断層の特徴を把握することが可能である.斜面の下には広場があり,土地境界を示す金網フェンスが急斜面に直交する南北方向に設置されていた.地震断層はこのフェンスにほぼ直交して出現している.このフェンスの支柱の変形から,この地点での変形が上下変位が2.3m,水平短縮約4m,および左横ずれ0.7mであることが明らかになった(第11図).左横ずれ変位は,上述の河谷の系統的左屈曲と調和的であり,既存の活断層から推定される変位様式と一致する.さらに西では,河川浸食によって後退した急崖の基部から5-10mくらい離れた空地に新たな撓曲変形が認められる.地震断層は,浸食崖を上り主要道路を横切って南北方向の高位段丘面を変位させた断層崖の基部に沿ってさらに西に延びている.
バンディ ミール ハムダニ付近の東西性の断層線は,右横ずれ成分を持つバラコット-ガリ断層が屈曲する圧縮性ジョグ(Compressional jog)にあたる.この場所は,震央にも近く,断層の破壊開始がこのジョグから起こった可能性が示唆される.
3.ムザファラバード空港,バンディ カリン ハイダール シャー(Bandi Karin Haidar Shah)周辺
この地域は,Nakata and others(1991)のタンダ断層の北西端付近にあたり,ジェラム川の東岸に広がる扇状地面を切って顕著な断層崖が発達する.この断層崖の上下にバンディ カリン ハイダール シャーの集落は位置しており,地震によって壊滅的な被害を受けた.既存の断層崖の基部に現れた地震断層によって畑や水田が東上がりに変位するのが随所に認められた.水平短縮によって断層崖基部が建物の内部にくい込んでいるところもある.しかしながら,これらの地表変形は,急斜面の重力的な変形が重なるため,幅10mくらいの比高1m以下の低断層崖や背斜状変形,雁行亀裂等が認知できるだけ明瞭とは言えない.
地震断層は集落の西を流れる川の河床を横切り,上下変位約6mのシャープな撓曲崖を形成した(第12図).地震後3ヶ月半以上経過しているにもかかわらず,元の変位地形は殆ど破壊されずに保存されており,雁行亀裂の状況から右ずれ成分を伴うことが確実であるが,変位量については明らかではない.累積的な断層(撓曲)崖上部の傾斜変換部付近の水田では引張性地割れが多数発達し,この地割れのために多くの家屋が壊滅的な被害を被っている(第13図).
第12図 バンディ カリン ハイダール シャー西の谷の河床に現れた地震断層.
第13図 バンディ カリン ハイダール シャー断層崖頂部付近に発生した引張性地割れと建物被害.
マルシ パイン(Malsi Pain)周辺(第14図)
この地域は,Nakata and others(1991)のタンダ断層の中央部にあたり,新旧の扇状地面を切る断層崖の発達が特に明瞭な場所である.最終氷期に形成されたと考えられる扇状地面の活断層による上下変位は約40mと推定され,それより古い高位の扇状地面の変位は80mにも達する.この断層崖の基部に沿って小規模な東上がりの変形が認められ,樹木が西に向かって大きく傾いている様子がうかがわれた.村人の話では,この崖を横切る送電線が地震の後で垂れ下がり,これを張り直したところ9フィートほど電線が余ったということである.これは,断層変位に伴う水平短縮によるもので,その量は約3mに達したと考えることができる.
地震断層はマルシ パイン北の谷の川床を横切り,僅かに離水した段丘面上に上下変位約4mの撓曲変位が幅約10mの範囲で現れた(第15図).相対的な隆起部には幅約20mの範囲に雁行状の亀裂が発達した(第16図).断層に沿って出現した多くの亀裂の配列状況から断層変位には右ずれ成分が伴ったことが確実と思われる.撓曲崖の基部には,表面を雑草に覆われる薄い板状の表土が巨礫に押されるかたちで垂直に近い高角度で屹立しているのが認められ,地震断層の運動によって上下変位に加えてかなりの水平短縮が起こったと推定される(第17図).