房総半島東方沖

房総半島東方沖を波源とする巨大津波

九十九里浜地域の約140地点を調査

過去の関東地方を襲った巨大津波の痕跡を見つけるために、九十九里浜の3地域(匝瑳市、山武市、一宮町)において地層抜き取り装置(ジオスライサー)(写真)やハンドコアラーを用いて約140地点で掘削を行いました。

掘削した場所は、過去の地図や写真の読み取りによって堤間湿地と呼ばれる地形が認められた場所です。かつて沼地や湿地であった堤間湿地では、泥や泥炭が静かにたまり地層を形成しています。こうした場所に津波が海岸の土砂を運搬すると、「津波堆積物」として砂礫の層が残されやすくなります。

過去に堤間湿地だった場所は、現在は埋め立てられて水田となっているため、地形の読み取りをどれだけ上手く行うかが調査の成功の鍵となります。

山武市における調査風景
⼭武市において⾒られた地層のはぎ取り標本

九十九里浜の中央部に位置する山武市の堤間湿地で掘削調査を行ったところ、泥炭層の中に明瞭な2層の砂層(上位から砂層A、B)を発見することができました。この砂層の中には海域に生息する有孔虫という生物の化石が含まれていることから、砂は当時の海から運ばれたものだと推定しました。

さらに、堆積物のX線CT画像から、砂層は当時の地表面を削りながら堆積したことがわかり、砂層AとBは海岸あるいは海底の砂や泥が津波により陸上へ急激に運搬された「津波堆積物」であると考えられました。

津波堆積物はいつのものなのか

九十九里浜地域で見つかった津波堆積物の年代を測定するために、放射性炭素年代測定を行いました。一般的に、砂層の中からは、年代測定に使える植物の化石のような炭素を多く含むものは見つかりません。また、見つかったとしても、その化石が、津波が起きた当時に生きていたものなのか、あるいは津波によって古い地層から削られたものなのか、判断することは困難です。このことから、私たちは、津波堆積物の直下および直上の地層、特に平穏な環境で堆積した泥炭層の年代から津波の年代を推定することにしました。

津波堆積物の直下と直上の地層は、植物の化石などを多く含む泥炭層です。泥炭層を実験室に持ち帰り、細かい目の「ふるい」を通して洗い、残ったものを顕微鏡で観察しながら年代測定に適した試料を拾い出していきました。この結果、ヒシなどの沼や湿地に生える植物の化石を見つけることができ、それらの放射性炭素年代測定を行いました。さらに、得られた年代に対して統計的な処理をすることによって、津波堆積物の堆積年代を計算しました。この結果、砂層AとBは、それぞれ西暦900年~1700年、西暦800年~1300年に堆積したと推定することができました。

年代測定試料を拾い出している様子

堆積物試料を水で洗う
残渣(ざんさ)をシャーレに取り分ける
顕微鏡で拾い出した植物化石

巨大津波を起こした地震は?

九十九里浜地域の海岸では、1677年の延宝地震と1703年の元禄地震の津波で大きな被害があったことが伝えられています。津波堆積物の堆積年代から考えると、砂層Aは両者のうちどちらかである可能性が高いと考えられました。問題は、それより古い砂層Bに相当する地震が、歴史記録には見当たらないことでした。

歴史記録や地形・地質学の先行研究によれば、相模トラフで発生したとされる元禄地震によって、房総半島の南端は大きく隆起しました。この隆起により「段丘」という地形ができ、それは現在の海岸でも確認することができます。例えば、千葉県館山市周辺では、元禄地震による段丘に加え、1923年(大正12年)の大正関東地震(関東大震災)でできた段丘も見ることができます。房総半島では、こうした段丘が階段状に分布しており、段丘の年代を測ることにより相模トラフで発生する地震の繰り返しが推定されています。これまでに明らかにされている段丘の年代のうち、砂層Bの堆積年代に相当するものは存在せず、砂層Bは段丘を生じさせる元禄地震や大正地震といった相模トラフで発生する地震・津波とは考えられず、砂層Bは未知の津波の痕跡と考えられました。

大正関東地震と元禄地震で隆起した地形の写真
房総半島で見られる段丘(千葉県館山市見物海岸 行谷佑一撮影 2011年2月)

浸水シミュレーションによる波源の推定

砂層Bを残した津波の実態を探るため、津波の浸水シミュレーションを行いました。地震・津波を発生させるような断層を仮定し、発生する津波がどこまで浸水するかをコンピューター上で再現する方法です。

仮定した断層は、相模トラフ(大陸プレートに対してフィリピン海プレートが沈み込む境界)で4ケース(モデル1~4)、日本海溝(大陸プレートに対して太平洋プレートが沈み込む境界)で4ケース(モデル5~8)、フィリピン海プレートに対して太平洋プレートが沈み込む境界で2ケース(モデル9、10)、さらにモデル5とモデル10が連動する地震で1677年の延宝津波の波源とされてきたものに近いモデル(モデル11)、869年の貞観地震の波源と考えられているモデル(モデル12)、2011年の東北地方太平洋沖地震の波源モデル(モデル13)です。

海洋プレートが陸側プレートに沈み込んでいる場所では、単純な矩形(長方形などの四角の形)の断層面を仮定しますが、房総半島東方沖では、太平洋プレート、大陸プレート、フィリピン海プレートが1カ所で接する「プレートの三重点」と呼ばれる場所が存在し、プレートの沈み込む形状が非常に複雑になっています。

このため、異なるプレート境界をまたぐような「モデル5とモデル10が連動する地震(モデル11)」を初めから考えるのではなく、モデル5とモデル10の2つの成分に分けて波源を考え、九十九里浜地域の浸水を考える上でどのプレート境界の影響が大きいのかを判断する作業を行いました。

また、このシミュレーションを行う際には、砂層Bが堆積した当時の海岸線の位置も考慮しました。九十九里浜地域では、浜堤という過去の海岸砂丘が取り残された地形が連なっています。この浜堤の発達過程から海岸線の前進速度が推定されており、そこから砂層Bが堆積した約1000年前の海岸線の位置を復元しました。コンピューター上で過去の地形を再現する際には、現在の砂丘の高さを参考にして海岸線を後退させる作業を行いました。

津波浸水シミュレーションの結果、日本海溝における2つの巨大地震の断層モデル(869年の貞観地震[モデル12];2011年の東北地方太平洋沖地震[モデル13])では、津波の浸水は砂層Bの分布域まで達しないことがわかりました。この一方で、房総半島沖において相模トラフと日本海溝のプレート境界を20 mあるいは25 m滑らせた場合(モデル3、4、8)には砂層Bが見つかった場所まで津波が浸水することが分かりました。また、フィリピン海プレートと太平洋プレートの境界を滑らせた場合は、他のプレート境界と比較して小さなすべり量(10m)でも九十九里浜地域に大きな津波の浸水が起きることも明らかになりました(モデル10、11)。このうち、モデル11は、モデル10に日本海溝沿いの領域(モデル5)を加えた規模の大きい波源を持ちますが、モデル10と11の両者には大きな浸水範囲の違いは無く、九十九里浜地域における津波の浸水に、モデル10の領域が大きな役割を果たしていると考えられました。

検討した10件の波源モデルの比較

検討した10件の波源モデルの比較図

本図の作成にはGMT(Generic Mapping Tools [Wessel, P., Smith, W.H.F., Scharroo, R., Luis, J., Wobbe, F., 2013. Generic Mapping Tools: improved version released. EOS Trans. AGU 94, 409–410.])を使用しています。

クリックで大きい画像が開きます。

本研究の意義とは

房総半島沖に位置するプレートの三重点周辺では、主に相模トラフと日本海溝で発生する地震の繰り返しが検討されてきましたが、房総半島東方沖におけるフィリピン海プレートと太平洋プレートの境界が単独ですべるモデル10のような地震は検討されていませんでした。それは、この領域ではこれまでに大きな地震が観測されておらず、機器観測からも該当領域で大きな歪みは蓄積しているのかよく分かっていないためです。本研究で示した砂層Bと津波浸水シミュレーションの結果は、房総半島東方沖におけるフィリピン海プレートと太平洋プレートの境界がすべることによって九十九里浜地域に大きな津波浸水を発生させる可能性も考慮すべきであることを示しています。

震災以降、津波堆積物の研究事例は増えました。一方で、九十九里浜地域のように、江戸時代より前の歴史記録が少なく、地質記録を活かして過去の津波被害を明らかにすべき地域はまだ多くあります。今後も各地で調査を継続し、それぞれの地域における津波浸水履歴を明らかにしていく必要があります。

プレートの三重点とは

本研究についてはこちらの記事・論⽂もご参照ください。