これからの先が見えない時代、そもそも東北の価値、そして東北の果たすべき役割とは何でしょうか。東北の未来のあり方を探るべく、今回は東北活性化研究センターの海輪誠会長に産総研の中鉢良治理事長と対談いただきました。「東京から東北へ来た」海輪会長と「東北から東京へ行った」中鉢理事長。そんな逆の経歴を辿ったお二人の東北観とは如何に。
中鉢私は宮城県の鳴子町で生まれ育ち、高校進学後はソニー入社後しばらくの間まで仙台に住んでいたため、東北に対して誇りを持っています。しかし歴史的にも現状でも、東北はどうも後進地域みたいになっています。だんだん自分が成長して客観的に東北を見れば見るほど、生まれ故郷というバイアスのかかった時と、客観視した時の東北観は違うのです。
東北は、江戸時代には米を中心とした農水産品を、明治時代には兵隊を、近代化とともに金の卵や出稼ぎ等、労働力を首都圏へ送ってきました。そして現在では大量の電気を送っています。つまり江戸を中心とした首都圏が近代化して発展するための要件を、実は、東北が整えてきたわけです。
その共通項は東京が地方の生産年齢人口を集めて一極集中で発展していったことです。一方、今日の新興国で見られるような人口ボーナスの逆現象として、生産年齢人口の極端な減少を先駆けて経験し衰退していく東北の姿があります。基本的にはそんな構図の中でどうしたら東北がもう一度復興できるかが今テーマになっているのではないでしょうか。ですから、海輪会長のように東京から東北に来られる流れが良いわけですな。
海輪中鉢理事長が色々な問題認識を仰いましたが、共通の感覚を持っていらっしゃると感じます。私は東京から東北へ来たのに、同じ感覚を持つということは、大体見方は合っている、ということではないでしょうか。
私は東京の北千住という奥州街道の宿場で、鞄職人の男三人兄弟の次男として生まれました。大学進学のために仙台に来てから、この土地で暮らし続けようと決めました。積極的に何かをしようとして東北に来たわけではありませんが、以来、自分は東北の人間であるという意識でやってきました。
東北の魅力は、東北人共通の誠実で謙虚な人柄だと思います。一方で謙虚さ故、発信力が弱いのが東北人の弱点ですね。
また、中央に頼り過ぎて自分たちで何かを興そうとする気持ちが弱いのも欠点だと思います。もうひとつは、江戸時代の藩政の影響が残るのかもしれませんが、隣県同士の仲がとても良いというわけではなく、お互いに助け合おうという意識がやや少ないと感じます。そのような点を踏まえた上で、今後どのようにしていくかという議論につなげる必要があるのではないでしょうか。