新しい時代における研究者への期待



元東北工業技術研究所 金属素材部長  池内 準

顧問 斎藤 正三郎

  私は、この5年間タイの工業省傘下の公務員にJICAプロジェクトのプラスチック用金型技術の指導を行ってきた。タイ政府の戦略産業のひとつである自動車産業は国際競争力を高めるため、 質の良い、信頼性のある部品をタイ国内で生産し、調達できるようになることが必須の状況となっている。同じものを沢山作る道具として金型が使われるが、これまでは精度の良い金型は日本等から輸入されていた。この輸入分をタイで生産できるように金型産業の技術力を向上させるのが私どもの活動目的であった。

 ところで、150年程前はほとんど同じような状態から出発した日本とタイは工業の発展に大きな差が生じ、現在は援助国と被援助国の関係にある。日本の開国は日米修好通商条約を締結した1858 年であり、タイの開国はバウリング条約をイギリスと締結した1855年である。その後、日本は明治天皇(1867−1912年)、タイはラーマ五世の時代(1868−1910年)とほぼ同じ年代に近代国家の確立に向けた努力が払われた。しかしその後の国の発展を見ると、日本の鉄道が開通したのは1872年、タイは25年後の1897年、地下鉄に至っては日本の1927年に対し、タイは77年後の今年バンコク市内に初めて地下鉄が走った。1人あたりのGDPを見ると日本は33,000米ドルで、タイはその十分の一以下の2,200米ドル(2003年) と経済力にも大きな差が生じた。この150年間に何が原因で、こ のような技術力・経済力に大きな差が生まれてきたのであろうか。

  これは両国における国民性と自然環境の違いに大いに由来していると言えるのではないか。タイの国民性についてはいろいろ言われているが、国王を尊敬すること、仏教の信奉が厚いこと、目上や年寄りを大事にすること、細かいことを気にしないこと、相手に悪印象を与えないようにすること、規律(時間)を厳格に守らないこと等が代表的なところである。技術指導を通して感じたことは知的訓練を従順に受け入れるが、疑問点があってもあまり質問しないこと(後で知ったが、質問することはその人の教え方が悪いことにつながり、失礼である)である。このため、自分が教わったことは自分なりの理解の範囲に留め、日本で言う改善とか新しい提案に発展することはない。タイの科学技術の発展の遅れはこの辺の国民性に関係している気がしてならない。

 タイは自然環境に大変恵まれている。タイの1人あたりの耕地面積は日本の8倍以上あり、二期作である。郊外にはいたるところ、バナナやパパイヤが自生している。タイは海に囲まれ、また気候が良いので、海の幸、山の幸と自然の恵みに溢れた国である。その上天災も少ないので何の備えもなく自然のままに生活できるところなので、災害に備える創意工夫、生きるための知恵に乏しい。 一方、日本は台風、地震、火山噴火と諸々の自然災害に直面するため、このような条件で生き抜くための創意工夫、R&Dがいやでも発達した。

 いろんな背景があるにしろ、国の発展には科学技術が欠かせず、そのためには日ごろのR&Dが非常に重要となる。タイも最近R&Dの重要さを認識し始めたところである。

 これからの日本は人口減社会を迎えるが、産業活力を維持していくためには今まで以上にR&Dが重要となる。願わくば、タイのように人間味あふれ、豊かさを実感できるような国として発展するR&Dが望まれる。東北センター、産総研のますますの発展を祈念せずにはいられない。