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中鉢どんな目論見で交流を図っているのですか?

榎本これから直面するであろう様々な困難に備えるための訓練です。実際に異分野の企業にインターンシップに行った時、最初の 1 週間は、同じ米沢にありながら同じ日本人でも、意思疎通が十全に果たせない事態に直面し、苦しい想いをしました。そのような経験をする状況に自ら取り入れられる環境をつくることが先決だと思います。また、私は基礎研究を行っていますが、留学先のボルドー大学では、企業との共同研究で、最終的なゴールが設定されている中で自分がその一部を担う体制を経験しました。毎日の議論でその日のうちに研究の方向性が修正されていく過程を経験できたことが、帰国後の研究生活でも活かされています。

大学院生の写真

小松iFront を通じて博士号取得を目指す学生たちが研究室の垣根を超えて集まり、寮でお酒を飲みながら自分の研究や将来の話をしたこと、おもしろい人たちと出会えたことも、当初は予期していなかった収穫でした。

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実感は現実世界のフィードバックから

中鉢産総研東北センターの松田宏雄所長からも、「グローバル人材の育成」について、ぜひ意見を聞かせてください。

松田グローバル人材とは「世界と仲良くできる」人材という意見が多かった印象です。一方、「世界と喧嘩して勝てる」という意見はありませんでした。「評価してもらいたい」ってどこか受け身ですよね。日本国内市場が人口減少によって縮小する中、天然資源に乏しい我が国が生き抜くためにグローバル人材が必要だと叫ばれているので、「世界と喧嘩して勝てる人間になろう」と思ってもらうことが大事だと感じました。

中鉢 「グローバル人材とは世界で喧嘩して勝てる人材だ」と言った人がいました。ソニー創業者の盛田昭夫さんです。彼の口癖は「Think globally , Act locally.」でした。盛田さんは、「モノをつくる技術と考え方の物差しは国際的な基準でなければいけない。しかし顧客のニーズはローカルで生活して体験し、はじめてわかるものだ」と考え、家族とともに米国に移住し、ソニーを世界に売り込みました。
 私個人の話をすると、私の生まれは宮城県大崎市の鳴子町で、まわりには山しかなく、毎日同じ風景でした。次男は家を出る時代だったので、ドラマティックな気分で仙台に出て、仙台の高校に入り、仙台の大学に入って、仙台から通える企業に勤め、自分は世界で一番幸せだと思っていました。仙台を離れることに対して私は極めて保守的だったのです。それが全く私の意に反して、社長から突然、米国への赴任を命じられました。それで米国に赴任し、大変な思いをして帰国した後はずっと東京で、以来、故郷には帰っていません。その後、企業の社長として世界を舞台に仕事をこなすうちに、少しずつ「世界を股にかけて仕事をしている」実感があったことは事実ですが、「これがグローバルだ」と意識したことはありませんでした。つまり、集中訓練を受けて「グローバル人材になった」という実感が生まれたわけでなく、ひとつひとつ現実世界からフィードバックを受けながら、本当に 1 mm ずつですが、徐々に普遍性を感じるようになったのです。それが成長だと私自身は感じました。

満ち足りないからこそ成長する

高橋(博士課程 2 年)グローバル人材とは、経験を積み重ねる中で少しずつ実感するものであり、世界と喧嘩できる強みを持てるよう自分のこだわりを持つことが大事ですね。自分が決めたことが正解だと考えると、我々が iFrontで行っていることは決して間違いではなく、どんな未来社会を創造したいか思い描き、情熱を持って取り組んでいけば、日本を牽引するグローバルリーダーになれると感じました。

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中鉢客観的に見れば、色々な意味で、米沢は恵まれている土地ではないと思います。しかしその中にあっても何とか成長させようという環境がよいのですよ。「何か満ち足りない」と感じることがエネルギーになるのです。私自身も 70 年の人生を振り返り、田舎で育ったことがよかったと思っています。都会から見ればハンデですが、その環境でやったことが自分のDNA をつくっているからです。その意味で米沢にはとてもよい目標があるし、すべてが揃っているわけではないけど、それが環境として素晴らしい。iFront の皆さんはよく育っていると感心しました。
 最後に私が体得した法則を 3 つ挙げます。第一法則、今は続かない。それはまだ何も決まっていないから。第二法則、人生ずっと思うようにはいかない。第三法則、無駄なことは何ひとつない。以上。

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