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所長エッセイ
津波
  昨年12月26日にインド洋・スマトラ沖で生じたM9.0の巨大地震による津波被害の甚大さは目を覆わんばかりのありさまで胸が痛みます。一日も早い救援・復興を強く望む次第です。1990年代は国連の提唱した「国際防災10年(IDNDR)」(その後21世紀には「国際防災戦略(ISDR)」に承継)で、特に被災の著しいアジア地域の 災害軽減のための国際協力が求められていました。筆者もその一環として関係各国・機関の協力を得て「東アジア自然災害図編纂計画」を主導し、 2002 年に “ Eastern Asia Geological Hazards Map ” (1:7,700,000) 、 2003 年に “ Interactive Geological Ha-zard Map of East and Southeast Asia with GeoHazard View ” (CD-Rom)(図1・2)、2004年に「東・東南アジア地質災害デジタルマップ」(CD-Rom)を産総研から出版しました。機会があればご覧ください。編纂の過程で災害軽減には専門家のみならず政策企画担 当者や地域住民への啓蒙が何より重要だと感じていた矢先のことで力及ばずの後悔の念が残ります。もちろん一人や数人の力では限界のあることですが、より強力なかつ長期的な視点に立った組織的継続的な努力が要される問題であることを痛感します。
図1
図2
▲図1 CD-Romのカバー表紙
図2 緑線部が津波危険域を示す▲
(図1の内容の一部。残念ながら、スマトラ沖地震の震央は範囲外)
  翻って東北センターの位置する仙台の地は津波に関して如何なのでしょうか。今後10年以内に50%、30年以内に99%の確 率で宮城県沖地震が再来するとの警告が出されています。これはプレート境界に発生する海溝型地震なので、当然津波を 伴います。昭和三陸津波(1933.3.3)を体験した方々もおられるでしょう。また、遠地地震であっても、チリ地震津波 (1960.5.22) をはじめ東北地方の太平洋沿岸域はたびたび津波に襲われています。対策を考える上で過去の津波の状況 を知ることは不可欠です。主なものを振り返ってみましょう。

  詳しくはわかりませんが、西暦 700年頃に仙台沿岸を襲い、海岸から7.5km離れた内陸の仙台市郡山まで達した津波が あったようです。ここにあったとされる国府も破壊され、その後現在の多賀城の高台へと移転されたといわれます。

  貞観11年5月26日(西暦869年7月13日) に三陸沖でM8クラスの地震が発生し、津波による溺死者一千人以上と記されてい ます。また、我が国最古の地震時の発光現象も記録されています。この地震は地震動によって多くの建造物が倒壊してお り、海溝域に生じた普通の地震(巨大ではありますが)による津波で、後述する津波地震ではありません。地震動を感知 して津波の襲来を予見することは現在では可能です。しかし、この津波は最大規模の被害をもたらしたもので、旧七北田 川下流(現在の砂押川)はじめ名取川他の河川を遡り、仙台平野・名取平野全域に浸水しました。

 慶長16年10月28日(西暦1611年12月2日)の地震は、震害そのものは軽微でしたが、小谷鳥(岩手県山田町)で波高15〜 25mに達する津波が発生し、南部藩領で三千人余、伊達藩領内で1,783人の死者をだし、その他の地域でも多くの死者や被 害家屋を出しました。阿武隈川を1里以上も津波が遡ったといいます。北海道東部にも津波が押し寄せ、ここでも多くの 溺死者が出ました。このように地震動が小さいわりに大きな津波を生じる地震を特に「津波地震」と呼びます。近代にお ける津波地震の典型は、22,000人の死者をだした明治三陸地震(1896)です(図3)。このような地震では、被災地では揺 れをほとんど感じないためにいきなり津波に襲われる感じで、津波警報もなかなか出しにくいやっかいなものです。
図3
図3 明治三陸地震津波の悲惨さ
(風俗画報臨時増刊,東陽堂,1896)
  寛政5年1月7日(西暦1793年2月17日)に三陸沖でM8クラスの地震が発生し、仙台でも建物に小被害がでましたが、津波も 発生し、両石浦で波高4〜5mありました。家屋の流出は多数ですが、溺死者は数十人規模でした。これも津波地震の可能 性が指摘されています。

  さて、1978年の宮城県沖地震では、陸上の被害が著しかったのですが、津波も発生しています。仙台を含め東北地方太 平洋沿岸域では、常に津波に対する警戒や啓蒙活動と組織的な様々な社会レベルでの対策が不可欠です。(今回の所長 エッセイはいつもと違ってまじめで格調高く、所長を見直した人も多かった?のではないでしょうか。こういうことを書 かなければもっと良いのにとも言われますが)
(東北センター所長 加藤碵一 記)