メートル条約締結と原器の来日

1875年5月20日に、メートル条約が17ヵ国により締結され、国際的に統一された単位系が確立されました。尺貫法を用いていた日本もその重要性を認識し、メートル条約締結から10年後の1885年にメートル条約に加盟しました。

子午線の長さの測定とアルシーブ原器の作製

18世紀ごろ、世界では質量や長さを表す様々な単位が使われており、都市や職業によって異なった値のものが用いられたり、同じ都市でも同じ呼び名の単位で値の異なるものが使用されていました。

当時、単位の統一は一般社会および国際社会の必要とするところでもあり、18世紀末フランスの科学者は地球の子午線にもとづく長さの基準を考案しました。 1795年4月にフランスにおいて、長さ、面積、体積、質量の単位をそれぞれ、メートル、アール、リットル、グラムと定めた法律が公布されました。

フランス革命の最中に測量を開始し、フランスのダンケルクとスペインのバルセロナ間の距離から地球の子午線の長さを計算し、1メートルを導き出しました。

またその長さの基準から1立方デシメートル(1リットル)の4 ℃における蒸留水の質量から1キログラムが決定されました。

この研究結果を基に、白金(Pt)製の確定メートル原器と確定キログラム原器が作製され、1799年に共和国文書保管所(Archives de Rèpublic)に保管されました。

これら両原器がアルシーブ原器と呼ばれる所以です。

メートル条約の締結と日本国の加入

19世紀になり、メートルとキログラムを基準とする十進法による単位系であるメートル法は諸外国の関心を得るようになり、1851年(ロンドン)や1867年(パリ)に開催された万国博覧会でのフランスの宣伝もあり、国際的な単位の統一の機運が高まりました。

そして1875年5月20日、「メートル法を国際的に確立し、維持するために、国際的な度量衡標準の維持供給機関として、国際度量衡局(BIPM:Bureau international des poids et mesures<仏>、 International Bureau of Weights and Measures<英>)を設立し、維持することを取り決めた多国間条約」である、メートル条約が17ヵ国により締結されました。

それと並行して新たな国際原器の製作も進められ、上記アルシーブ原器を基に3本のメートル原器 I1、I2、I3と、3個のキログラム原器 KI、KII、KIII がイギリスのジョンソン・マッセイ社により作製され、3本のメートル原器に関してはパリの国立工芸学校で目盛線が引かれました。

これらの原器の検証後、メートル条約加盟国に分配する参照原器として、30本のメートル原器(No. 1から30)と、40個のキログラム原器(No. 1から40)が作製されました。これらのうち、最もアルシーブ原器に値が近く、誤差範囲内で同じ値を示したメートル原器 No. 6 と、キログラム原器 KIII がそれぞれ国際メートル原器と、国際キログラム原器の候補として選ばれました。

そして、1889年の第1回度量衡総会(CGPM)にてメートル条約加盟国18ヵ国の承認により、国際メートル原器と国際キログラム原器が誕生するとともに、各国に分配される原器が抽選により決定され、メートル原器 No. 22 と、キログラム原器 No. 6 が日本に割り当てられ、1890年に来日しました。

気密・耐水圧構造鉄製容器の写真 気密・耐水圧構造鉄製容器

両日本国原器は上に示す、気密・耐水圧構造鉄製容器に格納されて来ました。これらの容器は、1921年のメートル原器第1次定期検査や、1944年の原器の疎開(後述)の際にも使用されました。

度量衡法と尺貫法

日本は1885年にメートル条約に加盟はしたものの、当時の日本では、尺貫法が浸透していました。

下の図は1891年(明治24年)3月24日付の官報で、度量衡法(1893年(明治26年)1月1日施行)が公布されていることがわかります。その第一条で、「度量は尺、衡は貫を以て基本とす」とあり、メートル条約加盟から5年以上経過していましたが、メートル法よりも尺貫法を優先したほうが良いと判断されたことがわかります。 ちなみに度量衡の度は長さ(ものさし)、量は体積(升)、衡は質量(秤)を表しています。

第二条では、「度量衡の原器は白金イリジウム合金製の棒および分銅とす。その棒の面に記したる標線間の摂氏0.15度における長さ33分の10を尺とし、分銅の質量4分の15を貫とす。」とされています。

日本国メートル原器(No. 22)は、0 ℃における線間の長さが (1 − 1.3×10−6) m と、1.3マイクロメートル短いのですが、+8.667×10−6 m/℃ の一次温度係数も持っており、+0.15 ℃ の温度でほぼちょうど 1 m となります。
法律の条文が温度係数が考慮された記述になっているのは興味深いですね。

また、質量に関しては、分銅(日本国キログラム原器(No. 6))の質量の15/4を貫とする、とあります。日本国キログラム原器の配布時の校正値は、+0.169 mg(1.000 000 169 kg)ですから、貫は 3.750 000 634 kg であったといえます。 また、度量衡法の第5条で、「キログラム」は 266.66667 匁、(1 貫は1000 匁)とされていますので、この当時の日本の「キログラム」は、1.000 000 182 kg であったと言えます。

転載元:国立国会図書館。上の絵をクリックすると当該官報をご覧いただけます。
明治天皇の御署名原本国立公文書館様)

日本国原器の疎開

太平洋戦争における東京に対する爆撃が激化する前の1944年(昭和19年)夏ごろ、空襲被害により原器を失うことのないよう、メートル原器は、茨城県新治郡にある中央気象台柿岡地磁気観測所に疎開しました。

原器は気密・耐水圧構造鉄製容器に格納して運搬され、下に示す長岡式小屋にて保管されました。

長岡式小屋の写真1 長岡式小屋の写真1
長岡式小屋の写真2 長岡式小屋の写真2

写真提供: 気象庁地磁気観測所
地磁気観測所様によりますと、長岡式磁力計の小屋は下図白丸のあたりに位置していたようです。

気象庁地磁気観測所周辺の航空写真 (Map data: Google、Maxar Technologies、Planet.com)

戦後の1946年(昭和21年)3月に原器は中央度量衡検定所に異状なく戻され、その後の日本の復興、経済発展を支えました。

日本国原器の歴史

共通
メートル原器
キログラム原器
  1. 1885年
    メートル条約に加盟
  2. 1889年
    第1回国際度量衡総会にて抽選により配分される原器が決定
  3. 1890年
    日本国メートル原器(No. 22)および日本国キログラム原器(No. 6)、トンヌロー温度計(No. 4301、4302)が日本に到着、農商務省が管理
  4. 1894年
    日本国メートル副原器(No. 10c)と日本国キログラム副原器(No30、No.39)を受領
  5. 1898年頃
    尺原器(No. 1、2)、半尺原器、10 cm原器(デシメートル原器)、貫原器(No. 1、2)、トンヌロー温度計(No. 15500、15501、15502、15503)を受領
  6. 1899年
    日本国メートル副原器(No. 20c)を受領
  7. 1903年
    中央度量衡器検定所の設立(東京市木挽町)
    メートル原器(No. 22)とメートル副原器(No. 10c)、キログラム原器(No. 6)とキログラム副原器(No. 39)を管理
    メートル副原器(No. 20c)とキログラム副原器(No. 30)は東京帝国大学で管理
  8. 1913年
    中央度量衡器検定所から中央度量衡検定所へ名称変更
    日本国キログラム原器第1回目定期校正(BIPMにおいてNo. 6の質量を国際キログラム原器の質量と比較)
  9. 1921年
    日本国メートル原器第1回定期校正(BIPMにおいてNo. 22の長さを国際メートル原器の長さと比較)
  10. 1944年
    日本国メートル原器(No. 22)および日本国キログラム原器(No. 6)を茨城県新治郡柿岡町 中央気象台柿岡地磁気観測所へ疎開させる
  11. 1946年
    日本国メートル原器(No. 22)および日本国キログラム原器(No. 6)が疎開先より中央度量衡検定所に戻る
  12. 1950年
    日本国キログラム原器第2回定期校正(BIPMにおいてNo. 6の質量を国際キログラム原器の質量と比較)
  13. 1952年
    中央度量衡検定所から中央計量検定所へ名称変更
  14. 1956年
    日本国メートル原器第2回定期校正および目盛線の引き直しのためBIPMに向け出発
  15. 1958年
    庁舎移転に伴い、銀座庁舎から板橋庁舎へ原器を輸送
  16. 1960年
    第11回国際度量衡総会で、メートルの定義が変更された。「クリプトン86原子の準位2p10と5d5との間での遷移に対応する光波の真空中における波長の1650763.73倍に等しい長さ」
  17. 1961年
    中央計量検定所から計量研究所へ名称変更
    日本国メートル原器が目盛線を引き直して帰着
  18. 1980年
    筑波学園都市の新庁舎への移転に伴い、板橋庁舎から原器を輸送
  19. 1983年
    第17回国際度量衡総会で、メートルの定義が変更された。「1 秒の 299792458 分の 1 の時間に光が真空中を伝わる行程の長さ」
  20. 1991年
    日本国キログラム原器第3回定期校正(BIPMにおいてNo. 6の質量を国際キログラム原器の質量と比較)
  21. 2001年
    計量研究所から産業技術総合研究所へ名称変更
  22. 2012年
    9月6日、日本国メートル原器および関連原器類、国の重要文化財「メートル条約並度量衡法関係原器」に指定
  23. 2018年
    第26回国際度量衡総会で、国際単位系(SI)の7つすべての基本単位を不確かさを持たない定義定数で表すことを決議
  24. 2019年
    5月20日、上記決議が発効
    プランク定数はキログラムを定義する不確かさのない定義定数となり、キログラムは定義定数をもとに定義、現示されることとなった
  25. 2022年
    3月22日、日本国キログラム原器および関連原器類、国の重要文化財「メートル条約並度量衡法関係原器」に追加指定