だろうかともいわれています。やがて8月8日の朝、元気な男の子が誕生しました。これが後に「わしが国さで見せたいものは昔谷風、今伊達模様」と里謡にうたわれた寛政の名力士、谷風の誕生譚です。しかしこの種の話によくあるように異説も多々あります。母親が仁王門を通り過ぎるたびに石が盛り上がりついに牛になった(その後、また石塊になって今日に伝わっている)とか、谷風が5歳のときにこの牛石が邪魔なので、何度も力を入れてついに動かしてしまったなどとも言い伝えられています。社務所で聞くところによると、2つに割れて片方は行方不明になったそうです。もちろん転石なので、由来は分かりませんが周囲に分布する新第三紀中新世のごく普通の輝石安山岩です(写真2)。
その後、谷風が晴れの郷土入りをした際、牛石を感慨深げに眺めつつ、「おかげで谷風は、このように力持ちになりました」と傍にあった石を右足で踏みつけたところ、足跡がへこんだといいます。社務所の左側奥に口をすすいだり手を洗ったりするための石の蹲(つくばい)があります。岩質は、「牛石」と同じです。手水をためておく孔が上面に刻まれており、これが谷風の足型であるという説と側面のへこみが足跡だとする説があります。上面の孔は人工的にノミで刻まれたもので、側面のへこみはなんらかの侵食跡です(写真3)。いずれにしてもお話ですので、野暮を言うのはこれくらいにして今回はお開きにしましょう。