産総研 東北 Newsletter
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中央の女性がペリアン、その右が松平斉光男爵、左が商工省貿易局の通訳三神知、ほかは所員
工藝指導所にて1940年11月12日
 独立行政法人産業技術総合研究所東北センター所蔵
 また、東北各地を視察した経験から「自分で使うものを作らせると、目を見張るようないいものができる。副業的な方向に民藝の立つ道が開かれているのではないか。冬の農閑期を利用するのがいいのでは?」と語り、東北の民藝を評価しました。一方、曲木細工や塗物の作業所など工藝指導所の指導先での視察に話題が及ぶと、「海外輸出向けに細工をしているがデザインが古い。『むしろ自由にやった方がいい』と指導してきた。西洋での実際の使い方を知らないので、見当違いになっている例もある。実際に海外に行ってみないとわからないと思う。自分もパリで坂倉氏に聞いていたのと実際に日本に来て見たのではまったく違ったから」と語っています。
 ペリアンは日本に映画『新しいスキー』を紹介するなどフランス文化大使としても活躍しました。自身もスキーが得意で、東北視察の折、年末年始に柳宗理(1915-2011)、剣持勇(1912-1971)ら所員とともに、山形蔵王でスキーを楽しんだそうです。
 ペリアンは日本の工藝を時間の許す限り見て回りました。来日後わずか7ケ月で展覧会を開きましたが、日本の伝統文化を取り入れた作品が並び、その斬新な展示手法に工藝指導所の国井所長は非常な覚醒を覚えたといいます。
 戦時色がますます強くなった1942(昭和17)年の年末、ペリアンは仏領インドシナへ渡り、終戦後ようやく母国へ帰ることができました。
 1953(昭和28)年、ペリアンはエールフランス日本支社長夫人として来日します。このときにも展覧会を開いたり、エールフランスの東京・大阪営業所の設計に携わるなど精力的に活動しました。
 ペリアンの日本体験は帰国後の制作活動にも活かされました。また、彼女は風呂など日本の文化を世界に発信したひとりと言えるでしょう。もちろん、視察に同行した柳宗理をはじめ日本の工業デザイン界にも大きな影響を与えたことはいうまでもありません。
参考文献
『シャルロット・ペリアンと日本』
「シャルロット・ペリアンと日本」研究会編、鹿島出版会、2011年
Photo
ユネスコ庭園内《茶室》入口、パリ、1993年
Photo:Pernette Perriand-Barsac,Jacques Barsac

Copyright Archives Charlotte Perriand― ADAGP,Paris&SPDA,Tokyo,2012
展覧会シャルロット・ぺリアンと日本


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