キシレンは塗料や接着剤の溶剤として用いられている量が多いことから、大気環境への排出量が非常に多い物質である。本評価書では、日本に住む人々のキシレンへの吸入暴露による慢性的な健康リスクを定量的に評価することを目的とした。
キシレンの健康影響を対象とした疫学調査はいくつか存在するが、これらから無毒性量(NOAEL)を推定するための十分な証拠は得られていない。そこで、評価エンドポイントを神経影響(協調運動失調)として動物実験のデータからNOAELを推定した。NOAEL推定値をもとに参照濃度として200 µg/m3が得られた。
大気排出量はPRTR集計結果からデータを得た。PRTR集計結果から情報が得られなかった油性筆記具使用に伴うキシレン排出量については、筆記具メーカーへのヒアリング結果をもとに推定した。広域大気中濃度に関してはAIST-ADMERを用いて、高排出高人口密度事業所周辺の局所大気中濃度についてはMETI-LISを用いて推定した。続いて、日常生活において室内で使用される塗料、接着剤、殺虫剤、油性筆記具等に含まれるキシレンを発生源とする室内キシレン濃度(室内発生源寄与濃度)の家庭間分布を、ワンボックスモデルを用いたシミュレーションにより推定した。大気中濃度と室内発生源寄与濃度を、室内室外生活時間比率で加重平均して個人暴露濃度を分布として求めた。
リスク評価は2通りの方法で行った。1つは参照濃度を超える人数を指標としたリスク判定であり、もう1つは生活の質(QOL)の低下を指標としたリスク定量化である。前者は暴露濃度と参照濃度を比較するという一般的な手法をベースとして暴露濃度に分布を持たせるという拡張を行ったものであるのに対して、後者はまだ方法論の提案という段階である。しかし、(1)余命の損失に至らないような軽度の健康影響を他のリスクと比較可能な形で表現するために、(2)評価エンドポイントの異なる化学物質のリスクを比較するために必要不可欠な手法である。
参照濃度を用いたリスク判定の結果、キシレンは「リスクの懸念はなく、対策の必要はない」と結論した。
QOLの低下量を指標としたリスク削減対策の費用効果分析を行った。分析対象とする対策を(1)ロータリーバルブ式蓄熱燃焼炉を用いてPRTR届出事業所からの排出量を削減する対策(屋外対策)、(2)24時間換気設備を導入することによって室内濃度を低減する対策(室内対策)とした。両対策ともに、キシレンだけでなくトルエン削減によるリスク低下分も考慮に入れた。
このような考察の結果、屋外対策によるリスク削減量は限定的ではあるが室内対策と比較して効率性はよい、逆に、室内対策によるリスク削減量は屋外対策と比較して大きいものの効率性は悪いとの結果を得た。屋外対策および室内対策によるQOL1年獲得費用を、これまでに計算された化学物質対策における1年余命延長費用(CPLYS)と比較した。その結果、屋外対策の効率性は過去に実施された化学物質対策のCPYLSの範囲から大きく外れていないものの、室内対策によるQALY1年獲得費用は屋外対策および他の化学物質対策におけるCPLYSと比較して効率性が大きく劣ることがわかった。
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