特集:CRMの7年間を振り返って(全文)

2001年4月の発足以来、化学物質のリスク評価・管理に関わる研究、そしてその研究成果の実践と普及に精力的に取り組んできたCRMは2008年3月末を以ってその活動を終了、4月からは新しい組織となって、新たなチャレンジを開始することになっています。CRMのこれまでの活動とその成果を中西センター長へのインタビューで振り返りました。

中西センター長に聞く: (聞き手:イカルス・ジャパン 武居 綾子)

◆ 若手研究員の成長と活躍

武居:私がニュースレターを中心にCRMの広報の仕事を担当するようになってから5年以上になります。2003年の初め、CRMが策定した最初の詳細リスク評価書、1,3-ブタジエンの評価書が公開された時期にセンター長からお話を伺い、ニュースレター第3号にインタビュー記事として掲載したことがありました。その時は1,3-ブタジエンの評価を中心にお話を伺いましたが、同時にこれからCRMとして何を目指していきたいか、成果をどんなふうに社会で活用して欲しいかといった、センター長のCRMに対する抱負も伺っています。振り返ってみて、この7年間でやり遂げたところと、やり残したところといろいろな思いがあるかと存じますが、いかがでしょうか。

中西:まず、7年前にCRMという組織を発足させるときにこういうことをやりたい、ああいうことをやりたいと思っておりましたけれども、現実にできるかどうかというのはわからないなという気持ちでした。私の考えを理解してくださる方はそう多かったわけではありませんし、研究員の方も、まだ最初のころで私の考え方はよくわからないという方が多かったと思います。でも、それは悪い意味では全然なくて、「みんな初めてリスク評価の話を聞く」というような状況だったと思います。

単なる研究というのではなくて、世の中が意思決定をするときの材料になるようなこと、社会に対して働きかけを行うような仕事ということで、そういうものの意味とか、あるいはそれが持っていなければならないクオリティーとか、どういう要素を入れていかなければいけないかということは、なかなか皆さんにはわからなかったと思います。

言い換えれば、従来の、「研究をやっていく」というスタンスとは全然違っていたということですね。しかし同時に、研究所でやるからには、研究的な新しい要素を入れなければいけないという、その二つの要素があって、それを皆さんにわかっていただく。あるいは研究員だけではなく、産総研の中のいろいろな幹部の方とか、あるいは外側で応援してくださる経済産業省とか環境省とか、そういう人たちも、なかなか私の考えを最初のころはわかっていただけなかったと思います。ですから、私自身も本当に自分の考えが実現できるのかどうかはわかりませんでした。

けれども、もう7年が経とうとしていますが、思った以上に成果が上がったし、その成果が形になって現れた。勿論、今でも意見の違う人は沢山いると思いますが、少なくとも成果を上げたということについては、意見の違った人たちも認めざるを得ないという状況になったと思っています。

それだけの成果を上げることができたということは、いろいろな意味で非常に幸運な点もあったと思いますが、一番はやはり研究員の人たちがよく理解してくれたこと、それから産総研の幹部―理事長、理事を始め、企画本部というところがありますが、そこの人たちがよく理解してくれて、サポートしてくださったこと、さらにその外側に経済産業省の大きな支援があったということですね。それは予想以上の応援だったと思います。もちろん最初の頃は「何やってるんだ」みたいな状況だったわけですが、だんだんみんなが「リスク評価」というものの意味をわかってくれたという点で、すごく幸運に恵まれたというか、私としては非常にハッピーだったと思っています。

例えば、研究員は確か最初は13人ぐらいだったと思います。その後、定年で辞めていかれる方も何人かおられたのですが、今は研究員が25人です。正規の研究員がこの5、6年の間に倍になるということは、むしろ定員削減の時代の日本の今の状況では考えられないですね。産総研全体でもどんどん定員を削減しているときに、CRMの研究員が倍増しているということは、いかに産総研の本部が、私たちの研究をサポートしてくれたかということの証でもあると思います。その間、研究費もいろいろな機関から頂いているわけですが、何よりも研究員を増やすことができたということが、CRMが大きな成果を上げ、それが認められてきたことを示していると思います。

11月に今年度の成果ヒアリングがありました。産総研の中で行われる評価の会で、外部の先生方に来て頂いて評価をする会のことを私たちは成果ヒアリングと言っています。平成19年度成果ヒアリングでは、CRMの5人の研究員が研究発表しましたが、発表者の平均年齢が35歳です。こういうことは他の研究組織では、二つの点であり得ないと思います。

一つは、若い人が非常に頑張っているということですが、もう一つそれ以上に例のないことは、これだけ若い人たちがいるということです。いかにこの組織が若いか、そして、若い人たちが頑張って、どんどん発展しようとしている、そういう象徴だと思います。平均年齢35歳の5人が発表し、皆さんから非常によくやったと評価された。これほどに思った以上のことが実現し、多くの若い人たちが育って、頑張って、これからもどんどんやろうという感じになっているということが、CRMとしてやり遂げた成果に対する、私の一番大きな感想です。

一方、できなかったこと、足りなかったことというと、チャレンジングな評価手法の開発かと思います。研究所として、行政判断にも活用できるような教科書を策定していくということを考えますと、多くの人がある程度納得できる原理で評価していくことが求められるということになります。それに対し、新しい理論を出していくことは、多くの人に認めて頂くという以上の、ちょっとはみ出したようなというか、新規の研究を次々にしていかなければいけないということです。

私は前者を堅い評価、それから後者をチャレンジングな評価と言ってきましたが、その両方を両立しなければいけない。チャレンジングな評価だけでは、誰にも使ってもらえないし、非常に分散したものになりがちである。しかし、堅い評価だけだとすれば、「新しいものがない」ということになり、進歩がない。定式化したものに従って評価しているという、ある種、実務機関になってしまう。しかし、研究所としては実務機関になってはいけない。

この矛盾をずっと抱えながら、しかしその矛盾こそが大事である。どちらかを消すのではなく、両方やることが大事であると。後者の「チャレンジングな」という意味で言うと、どちらかというと堅い評価が優先し、さらに、多くの人の批判に対してディフェンスしていく、そういうことに相当な力を注ぎましたので、チャレンジングな手法を開発していくということは、思ったよりも遅れたな、という感じはしています。そこが、残念といえば残念です。なるべく世の中の多くの人に理解してもらえるようなものをつくりたいと思っていると、どうしてもチャレンジングな部分がなくなるということもあるので、今後もそこは非常に注意していかなければならないと思っています。

◆ 周囲の支援と社会の変動

武居:今のお話の中で、特に産総研の内部のサポートが大きな力になったとおっしゃいました。センターが設立された当初、「産総研自体は産業に寄与する新しい技術を開発することを中心とした研究機関である中、CRMは化学物質のリスクといった、技術開発にとってむしろマイナスにとられがちな部分を研究する機関であって、非常にユニークな存在である」と、おっしゃったように覚えています。

そういう意味では、今まで日本の社会、経済が開発中心に動いてきていた状況から、やはりそれと同時にリスク評価もやっていかなければ、バランスのとれた産業の発展には結びつかないといったようなことが、産総研の中でも理解された。さらに経済産業省の支援もあったということは、リスク評価の必要性が社会的にもかなり高まってきて、理解を得てきていると見てもいいのでしょうか。

中西:そうですね。一番大きな社会的な変動が起きてしまったという感じがしていまして、その変動の力の一部にはなったなと思っています。社会を動かす力の一つにはなったと思っていますが、何よりも社会的な大きな変動の時期、ちょうどその時期であったと言えると思います。

設立当初、「そんな産業にマイナスなことを何で経済産業省はやるんだ」といった見方は、経済産業省の中にもあったし、産総研の中にもあったわけですが、とりあえず船出をしたということですね。そして、やっているうちに、社会的ないろいろな逆風というか、産業とか安全に対する皆さんの関心だとか、あるいは欧州の規制だとか、そういう問題の中でリスク評価をしていないと、大海の小船のような感じで振り回されてしまって、せっかく技術を開発しても使えなくなってしまう。あるいは、欧州の規制なども必ずしも合理的でないけれども、反論するだけのものを持っていない。そういうもどかしさというのがだんだん出てきていた。

環境対策というのは、ある種「善」で、ただやればいいんだというのが最初あったと思います。もっと大昔は、環境対策なんて産業にとってすごいマイナスだった。その次に、何か規制があれば、それを先取りしてやればいいみたいな。そのうちに、ただそれだけではどうしようもない、自分たちの価値観みたいなもので理論武装していかないと、製品自体も出せないという雰囲気が非常に強くなってきて、その流れとうまく合った。そういう社会の流れがあったときに、CRMがやっていることを、「あ、これがソリューションだ」とみんなが思ってくれたということは非常に大きいと思います。

途中、3年目ぐらいから、だんだん私たちの主張が産総研の中で強く受け入れられるようになって、特に私たちの評価が非常に上がったきっかけはナノですね。ナノ材料のリスク評価に取り組もうということを私が言い出したのが2004年の秋です。私より先に蒲生昌志が主張していたのですが、その時は私は無視していたらしいです。ナノ材料をつくるのに産総研は非常に強い。そういう新技術を社会に出していくときに、製品のスペックの一つとしてリスク評価をつけるべきではないかということを、産総研内部の中心的な人たちにアピールしました。

そうしたら、理事長始め、皆さんが「そうだ」という感じになりまして、産総研の中でいろいろな動きが始まっていって、このリスク評価に繋がったわけです。まず産総研が研究費を出してくれて、それで1年やって、今度それを経済産業省に持っていって、それで新エネルギー・産業技術総合開発機構(NEDO)の研究プロジェクトが出てくるわけです。このことが産総研だけでなく、経済産業省の中でリスク評価が必要だという雰囲気を高めることになりました。

今までは、経済産業省の上の方は、何かひどい公害とかが起こって、その後、産業の後始末としてリスク評価があるという、言ってみれば、下流産業の一つの理論的なものといった感じで考えていたと思いますが、新商品を出したり、新しい技術を使用するときにリスク評価が必要ということは、逆に言うと、一挙に上流の技術、上流の理論ということになりますよね。

そういうものとしてリスク評価が必要だということを強く皆さんが感じるようになって、経済産業省の建物の中を歩いていても、皆さんの見る目が明らかに違ったという感じです。「頑張ってくださいよね、日本のナノ材料をちゃんと世の中に出していくことでよろしくお願いしますよね。」みたいな、そういう雰囲気で、もう経済産業省の中の雰囲気が全く変わりました。

その前段には、産総研内部の変化がありました。ナノ材料のリスク評価をやるときには、そんなことをやったら、かえってナノの技術が阻害されるのではという心配は、当然、まだまだ多くの人が持っていましたが、理事長の理解が非常に深く、積極的に後押ししてくれて、リスク評価が始まった。それが今度、経済産業省のほうにどんどん波及していって、経済産業省の中も、「いや、それなしには、またGMOと同じようになるかもしれないし、原子力と同じような苦労を経験することになるかもしれない。何とかこの産業をちゃんとやるために、リスク評価をきちっとやろうじゃないか」という雰囲気になってきました。

私たちの研究センターの位置も、先ほど言いましたように、下流と上流というのは、どっちが良いか悪いか、どっちが貴くてどっちが賤しい(貴賤)という話ではないと思いますが、何となく下流というのはやや暗い、上流というのは華やかという感じがあります。一挙に下流から上流の科学というか技術に、評価がそういうふうに変わっていったということを、本当にナノのときに感じました。その勢い、光というのでしょうか、そういうものを、今も私たちは持っているという感じがします。

◆ 公害対策から新規技術のリスク評価へ

武居:今のお話をお伺いして、私もこれまでCRMの中の動きを見てきて、そのぐらいの時期に、研究員の皆さんの様子に変化が起こったことを思い出します。最初のころは、やはり研究者としてやりたいことと、世の中に役に立つ、即活用できるようなものを出さなければいけないというギャップの中で、研究者の方がいろいろな葛藤を抱えていることを強く感じました。社会からは直接見えないところで自分の好きな分野の研究をこつこつ進めるというのも、研究者にとっての楽しみではあるかもしれませんが、出した成果が世の中で役に立っている、注目を浴びているということに対する喜びというものを、皆さん実感し始めていたのかなと。

中西:CRMの研究成果が経済産業省の産業構造審議会で使われたりとか、そういう時期とも一致していましたね。
そうですか。外から見ていてもそういう雰囲気がありましたかね。

武居:はい、やはり最初は本当に戸惑いながら、大変苦労していらっしゃるというような雰囲気でした。

中西:そうなんですよ。最初は本当にみんな暗い感じでしこしことやらざるを得ないな、みたいなところが多分あったと思います。頭ではやらなければいけないとわかるけれども、やや辛いよねみたいな感じがありましたが、最近は非常にみんな真っすぐ前を見てという感じになってきて、かえって「天狗になっているんじゃないか」と心配する向きもありあます。

武居:それから、先ほどの上流と下流というお話ですが、最初にリスク評価の対象として選ばれた30物質というのは、既に何らかの有害性が指摘されて、社会的に問題になっていた物質を改めて評価しようというスタンスで、ある意味、後始末的な評価であったかと思います。その中から、新規の技術や物質についてのリスク評価を前向きに進めていこうという方向に変わってきたのも、センター長がおっしゃったような時期だったのかなという気がします。

中西:そうですね。後始末的なものだけでなく、これからつくっていくものに、産業の重要な技術の一つとしてリスク評価があるという形に今はなっていて、ナノ材料だけでなく、バイオ燃料のETBE(エチル・ターシャリー・ブチル・エーテル)とか太陽光電池、そういうもののリスク評価も一緒に始めています。

世の中でよく予防原則という言葉が言われますが、何でもかんでも危なそうなものはやめるということは実際あり得ないし、現実には実現できませんが、できるだけ予防的に考えていこうというのが一つの正しい方向で、流れですね。従来の公害というものは、今までさんざんつくって、それでどうなったということで、CRMのリスク評価も、どちらかというとそちらのほうであったわけです。しかし、だんだん予防的になればなるほど、産業の最初のところに入り込んでいく。

そういう意味でいうと、積極的にナノ材料とかETBEとか太陽光電池の材料を取り上げるということは、いかに私たちが予防的になっているかということでもあると思います。私はちょっと皮肉っぽく、予防原則を言っている人よりもずっと予防的だよと言っています。

いわゆる環境対策というものは、ずっと後始末としてきているわけですが、予防的になればなるほど、産業政策ともより密接になるということで、発生源のところ、あるいは生産のところに入っていかなければいけない。あるいは、商品にまだなっていないものまでやっていこうという考え方なので、今などはもう研究のところに入っているわけですね。

そうすると、従来の、環境対策は環境省で、産業は経済産業省でというよりも、経済産業省自体がそういうことをやらなければいけなくなってくるということです。つまり、社会的な流れとしては、経済産業省と環境省は一緒にならなければならない時期に来ている。環境対策は事前の対策に移れば移るほど産業と密接でなければならなくなっていると思います。

私が経済産業省の研究所に最初に来たときに、「環境をやっていた中西さんが、何で経済産業省に」とみんなに言われました。公害問題と環境対策でも企業を厳しく批判してばかりいるような人が、評判の悪い経済産業省になぜ行くのかと。私はともかく、産業と一緒に環境対策はやらないと意味がないので、評判が悪かろうと何であろうと、これが大事なんだと言ってきたわけですが、世の中はそういう方向に流れていっていると思います。

もう一つCRMのメリットというのは、産総研の中に製造設備的なものを持っているということです。それで製造過程でできるものだとか、あるいは製造過程で失敗するとどうなるかということを実際に実験ができる。本当は企業の製造設備のところに行って、そういうことをするべきですけれども、まだまだちゃんとした技術にもなっていない、秘密もたくさんあるというところで、なかなか企業の中に入っていけない。たとえ特許の問題や企業秘密がなくても、いきなり「失敗してみてくれませんか」とか、そういうことはなかなかできない。

ところが、産総研は非常に意識が高いので、現場の人たちが「やってください」と言ってくれる。最初の頃は、まな板の上のコイみたいで、リスクというものでどう調理されるかわからない、どう出されるかわからなくて嫌だと言っていた。でも、だんだんみんなの意識が高くなって、やってくださいと。それで、どうしてもだめなときはやめますから、と言うまでになっているんですよ。

研究開発をやり、あるいは製造までどういうプロセスをつくったらいいかということ、イノベーションみたいなことをやっている人たちが積極的に協力してくれているので、これはもう単に毒性学者が評価するという領域を超えています。そういう意味では非常に恵まれた条件だし、産総研こそやっていかなければいけないと思っています。

◆ リスク評価のための有害性評価への挑戦

武居:今、毒性学者のお話がでましたが、第3号のインタビューで、これからリスク評価をやっていくに当たって、CRMは有害性評価が弱いというところが一つ弱点であるというお話があったかと思います。実際にこれまでやってこられて、今、有害性評価についてはどういったお気持ちですか。

中西:CRMは有害性評価がずっと弱いんですが、有害性の専門家を一定の数、研究員として確保し、その方たちがコアになって外部の専門家の協力を得て、ある種のネットワークをつくって一定程度動くようになっているというのが現状だと思います。とりあえずリスク評価書を策定していくための体制は整い、それを動かしていくこともできている。

今度新しくナノの評価に入っていくときどうかというと、有害性担当の研究員が一生懸命やってくれていて非常に助かっています。しかし全体で考えてみると、もっともっと大勢の人に入ってきてもらわないと困ります。ただ、今までの米国におけるナノ材料のリスク研究というか有害性研究を見ると、有害性の専門家の人が勝手に有害性評価をやってどっとデータが集まっているけれど、それをなかなかリスク評価に生かせないというのが現状だと思います。

欧米には日本と比べものにならないぐらいの数の毒性学者がいますが、リスク評価という立場からこういう有害性評価をしなければいけないという提案があって、それに従って有害性の専門家が試験をするという体制はできていない。私たちは本当に数が少ないけれども、それを今やろうとしている。リスク評価の立場から、どういう有害性評価をしなければいけないかということの試みをしている。欧米と比較すると1,000分の1ぐらいの人しかいないかもしれないけれども、そういう組織立った動きを私たちは今始めているという感じはすごくしています。ですから、ナノ材料のリスク評価に関するOECD(経済協力開発機構)の会議に行っても、一貫して私たちの方針がほかの国よりも先に先に行っていると感じます。

それはなぜかというと、リスク評価の立場から有害性のことについてどうするべきかということを言っているからです。ほかの国は有害性のすごい専門家、すごく優れた研究者だけれども、従来の有害性評価の人が出てくるので、有害性評価の枠を出られないというところがちょっとある。勿論その人たちがリスク評価のところに全部結集していけば相当なすごいものになると思いますが、今のところまだそうなっていないという感じがしますね。ですから、この日本の特色を生かして、リスク評価のための有害性評価という体制というか考え方が、小さいながらも、もしこの何年かで構築できるとすれば、割合進んだことができるかなと思っています。

武居さんも有害性の専門家ですけれども、有害性の専門家は全体に頭が固いような気がしているんですけど。

武居:確かに有害性評価の専門家はどちらかというと生物系で、リスク評価はどちらかというと工学系の頭ですね。私もこれは驚いたのですが、文系、理系という分け方が日本人は好きですが、リスク評価に関しては文系、理系よりも、工学系と生物系のほうがもっと話が通じないのかなと感じます。

中西:それはどなたか言っていましたね。工学系と理学系の溝のほうが深いねと。工学系と、例えば経済なんていうのは割合頭が同じ。全体を見ようとか効率を見ようとか、そういうことで同じだと。しかし、理学部の人はどうしようもないと言う先生もいらっしゃる。それは工学部の人ですが、理学部の人から言わせれば、「工学系の、あのいい加減なのは」ということになるんです。確かにそうですね。

武居:それは感じていますね。あとは、全体数として、日本は毒性学のご専門の方が非常に限られていて、どちらかというと、有害性を検出するということを中心にやってこられているので、それをリスク評価に生かすという方向ではなかなか考えていただけないところはあるかなと。

中西:何か珍しい現象を見つければ大発見みたいな感じの価値観で動いている。そもそも人数も少ない。あともう一つ、どうしてかよくわからないんだけれども、毒性学が専門というのは、一段低いというふうにご自分で思っておられる。薬学をやっている人、あるいは医学をやっている人に比べて―毒性学も薬学も一つですが、普通に創薬とか、そういうことをやっている人に比べて身分が低いと思っているのかなと思うようなところがあります。

武居:医薬品の会社等でも、効能を開発する分野の専門家と、その物質が持っているかもしれない有害性の部分を見る毒性の専門家では、社内での扱いが全然違うといったようなことは聞いております。それと、毒性学というのは応用的な分野で、いわゆる専門ではないというような感覚もあるのかなと思いますが。但し、欧米、特に米国ではトキシコロジストというと、かなりの報酬をもらって、さまざまな方面で活躍している方が非常に多いので、その辺の意識の違いは、やはり社会的な側面が関係しているのではないでしょうか。

中西:米国なんかで毒性学者という人は、もちろんリスクとか、全体に対する知識を持っていて、社会の動きに対しても非常に敏感で、話をしていると、まさか毒性学者じゃないだろうな、この方はどこかのディレクターとかで社会科学から来た人かなと思うような、非常に広い、世の中はこういうふうになるんじゃないかとか、規制が進むんじゃないかとか、そういうことをすごく言っておられていて、それでいて専門はトキシコロジーですという方はすごく多いですね。日本の場合、トキシコロジストというと何かひどく狭い感じがしてきますよね。

◆ リスク評価における日・米・欧の取組みの違い

武居:CRMのリスク評価を中心にして、内部の有害性の専門家と外部とのネットワークがある程度つくられつつあるということですが、正直言って、もう少しそれが広がって、国内だけではなく、国外のトキシコロジストも含めた形で今後大きく発展していただければと思うのですが。

中西:国外の試験機関とか評価機関と2回か3回お仕事をしたと思いますが、なかなか私どもが期待するものが得られないというのがあります。意外ですね。何となく食い足りないというか。国外を市場にするというか、国外の企業にも参入していただいて、やがてそこの学者も入ってきてといった展開も期待はしていたのですが。

リスク評価のところで、よく「毒性は共通で、暴露は各国」と言うけど、実は毒性についても、無毒性量(NOAEL)とか、そういうものについて結果は変わらないかもしれませんが、みんなが頭で納得する納得の仕方が違うということを、国外の研究機関からの報告書を見て思いました。日本人はこれを読んでも納得しないということをすごく感じたんですね。

毒性データは共通だといいながら、実は米国の人たちがつくる文章では、日本人は頭の中でなるほど、これはこういうNOAELでいいのだなとか、ほかのことは証明されているのだなということはなかなか納得しない。日本人には日本人の論理構造があって、こういうデータとこういうデータとこういうデータを積み上げないと納得しない。それが相当あるかなと。

だから、英語と日本語の違いだけではない、納得する筋道の違いがあって、独自に提供しなければならないものがある。それは国際化という中で日本人のほうが変えなければいけないのか。そもそもそういうものというのは、ある程度国民性があるものとして残していくべきものなのか。そこがよくわからない。だから、評価書の有害性評価も、最後のところは、ある程度国民性みたいなものを生かす。しかし、もっともっと外国の方の力とか、あるいは共通にできるものを共通にしていくということは非常に重要ですね。

武居:今のお話と、前に出ました、評価書をつくるに当たって新規性と、それからなるべく多くの人に納得してもらえる内容にするということで、その両立にかなり苦しまれたということがありますが、その点に関連して、米国はリスク評価という体系が1980年代に既にある程度確立して、それを30年近くかけていろいろなガイドラインを出すとか、そういう文書の形でまとめたものを土台にして発展してきたという歴史があると思います。

それに対して日本は、リスク評価が本当に使われ出したのはここ数年だと思いますし、その土台となるいろいろな考え方を文書化したものは、まだほとんどないような状況です。ようやくCRMから、「リスク評価の知恵袋シリーズ」とか、そういった形で文書になったものが出てきつつあるところかと思います。どういった内容、どういった理論の立て方だったら、多くの人に納得してもらえるのかというところも、国民性による違いもあれば、今まで来たリスク評価の歴史の違いもあるのかなという気もするのですが。

中西:そうですね。まず日本の場合には、公害という大きな経験があって、みんながある程度公害という問題からリスク評価を見ているというところがあると思います。米国のように、公害みたいなものがあまりなくて、もともと周りの自然の生態系をどう守っていくかみたいなところからむしろリスク評価みたいのが始まっているところもある。勿論発がん性とか、人間の健康影響もありますが、もっと根底には、やはり生態系を守るということがあるというようなところで、非常に大きく違っていますね。

日本の場合には、あらゆるリスク評価で、生態系はむしろ関心がすごく遅れていて、人間の健康影響ということにものすごいみんなの関心が集中している。しかも、それはみんな水俣病のようなことが起きるんじゃないかとか、イタイイタイ病のようなことが起きるのではないかというところからすべてが出発しているというところが、すごく大きな違いで、その違いをきっちり見極めていくというのが非常に重要なことかなと思います。だからこそ、日本なりの考え方というものを本にしたり、いろんな文書にしたりして、どんどん出していくということが必要かなと思います。

米国のリスク評価も、リスク評価の方法を開発しながら科学がどんどん進歩していくという感じがあったと思います。例えば水銀の問題が出れば、水銀の評価を巡って、あるいは個人差を巡って、幾つも論文が出てきて新しい考え方が出てくる。それからダイオキシンでいうと、ダイオキシンの評価書は2,000ページぐらいありますが、ああいうようなものの中から、体内のダイオキシンの量が非常に重要だとか、実は動物と人間の間にあまり違いがないとか、いろんな問題が出てきて、毒性等価係数(TEF)という考え方が出てくるんですね。リスク評価をしながら、ああいう考え方が出てくるわけです。これは前からある考え方ですけれども、水道の塩素系の消毒による副産物の有害性と、似たような物質をどう足し合わせるかという、混合物のリスク評価の理論というのが、またそこから出てきます。

米国の場合に感心するのは、例えばトリハロメタンという4種類のものが同じような構造だから同じようなリスクを持っているだろうとみんな思いますよね。それをどうやって足し合わせるかというので、バイオマーカーを使ったりして足し合わせる。それをまた検証していますよね。4種類入れてみて、4種類の比率を変えてみて、バイオマーカーがどう変わるか。がんの試験までやっているんですね。4種類まぜて、がんの試験までやる。

12月に開催された米国リスクアナリシス学会の2007年年会での発表の一例ですが、環境ホルモンと言われている物質のポテンシー、つまりホルモン活性の違うものを合わせて、現実にそういうホルモン作用みたいなものが混合した影響というのはどうなるかというのを検証していました。米国は、評価のやり方を決めるだけではなくて、その評価をしながら、どんどん新しい科学、環境科学というか毒性科学というか、そういうものをどんどん発展させてきている。それが非常に大きい。

欧州のほうは、それを見ながら公式にするという公式屋だというふうに私は思っています。欧州からは新しい理論、科学は全然出てこないけど、米国の動向を横目で見ながら公式にするのは非常に上手だと。それで公式にしたものを世界標準にするという力はすごくあるということですよね。

日本はどっちもないけれども、一つ大きいのは、公害問題を背景にして考えていくという、人間のある種極限を見たもので人間の健康影響を一生懸命見ようとしているというところは他にはなくて、損失余命とか、そういう物の考え方はむしろ日本のほうが入っていくのかなという気はしましたね。米国でも勿論使われていますが、リアリティーがないと思います。日本のほうがむしろそういうものをリアリティーのあるものとして捉えているというところはあるかなと思います。

ですから、日本は日本で、そういう経験をできるだけ生かしながら科学を発展させていくということだと思いますね。文書ということでいうと、やっぱり欧州連合(EU)もすぐ文書を作って、世界中に使ってもらう、中国でも使うとか、タイでも使うとか、そういうのがすごく多いですが、日本はその点がなかなかできませんね。

私の非常に悪いところですが、標準化という仕事が億劫なんです。先に行きたいたちなので、ある程度まとまったものを標準化して、みんなに使ってもらえるようにする、それは誰かがやってくれませんかみたいな感じがどうしてもあります。ですから、なかなか標準化は進まない。

日本全体として考えると、標準化という仕事を研究者にやらせるのではなくて、そういう専門職を育てていくという必要があると思います。博士号も取っている。そして、チャレンジングな研究に従事するわけでないけれど、きちっと専門を生かしながらそういう仕事をしていく。それで、その人たちに高い地位が与えられて、みんなの尊敬が集まるという状況を作っていく必要があると思います。

例えば産総研でも今、標準化ということが非常に重要な課題になっていますが、研究者の雑用が多くなり過ぎて、どうしようもないんですね。標準化の推進には、かけ声ではなく体制を作っていくことが必要です。CRMでも、研究員が本を出版したり、ハンドブックを公開したり、それはそれとしていいと思うんですが、それを超えるようなものを作っていくことのできる体制を整備していなければいけないと思いますね。人材の育成も含めて。

CRMの仕事は主にNEDOの予算でやっていますが、NEDOの目的は技術開発なので、普及とかの予算は全然出てきません。ですから、普及のための資金がない、人材もないじゃないですかということは非常に強く訴えたいですね。NEDOでも、事後評価とかをやると、みんなに対する普及に努力していない、とか言われますが、普及のために予算を使ってはいけないことになっている。

武居:それは矛盾ですね。

中西:シンポジウムも開けない。それで学会発表の費用も出ないんですよ、ああいうファンドというのは。ですから、非常に不思議な構造になっているんですね。それで、成果をどのぐらい学会で発表したかって、問われるんです。 

今度、「リスク評価の知恵袋シリーズ」が出せたのは大変うれしいことですね。ちょっと難し過ぎるので、もう一段わかりやすいものをつくらないといけないなとは思っていますが、とりあえず、一つでも出せたということは、CRMにとっては画期的なことです。

◆ 実務機関の創設と人材育成の必要性

武居:今までCRMがリスク評価の分野で進めてきたことは、日本の今までの社会から見ると、研究の社会でもすごく先進的、先端的なことだったと思います。それにこれだけの成果が上がった。但し、今後もCRMが先端の研究を進めていくには、今まで出てきた成果をもっと活用して、普及していけるような実務機関が同時に発展して、どんどん層が厚くなっていくことが必要ですね。

中西:そうならないといけませんね。そういうものをつくるということが、例えばポスドクの就職の問題とかの解決にも結びつきます。ポスドクといって、全員が第一線の研究者になるということを目指しても、社会的な費用とか人口のいろんなバランスでちょっとそれは無理なので、ポスドクで研究をやってきた人たちが、そういう実務機関に入って、専門を生かした実務のポストを担ってくれれば、自らポスドクの問題も解決する。

日本の場合、博士号を取って、みんなが目指すものは研究職しかない。これだけ定員を削減しなければならない時代に、そんなに研究職のポストばかりつくれるわけがないので、結局、ポスドクの人が今まで勉強したことを生かせないということになってしまいます。ポスドクの人たちを生かす場所というのが必要でありながら、ないんですね。

武居:そういう意味で化学物質の分野に関しては、欧州での新しいREACHの動きとかに対し、産業界としても、やはりそういった専門家がいないといろいろなことに対応できない社会になってきていると思います。CRMの研究員の方も大学での講義を担当されたりして、人材の育成や今まで開発してきた実務に生かせるいろいろなツール等の普及にも努めてきていると思いますが、そういったものがもっと広く進んでいって欲しいと感じます。

中西:もうちょっと組織的、戦略的に人を育てることをやっていかなければいけない。企業も、ある程度自分たちの力でリスク評価をやっていけるようにならないといけないだろうなと思いますね。そのための人材をどんどん育成していく。育成も、どっちが悪いのかというか、卵か鶏かみたいな感じのところがありますが、大学は育成したいと思っていても、育成した人の就職先が実はない。一方で企業は人材がない、人材がないと言いながら、新人採用のときにはそういう人を採ろうとしないという矛盾があって、なかなかうまくいきません。

このあたりで組織的、戦略的と私は言っているのですが、一定程度のリスク評価のある種の資格を持ったような人を企業はそろえなければいけないということを、内規でも、別に法律でなくてもいいかもしれませんが、そういう雰囲気をつくる。あるいはルールをつくる。そして、そういう資格を持った人をきちっと計画的に教育していくという2本立てですよね。受け入れと教育。教育だけをしても、今のところそれで就職できませんから。

例えば「リスク評価ができます」と言っても、「おまえ、どのぐらい自動車のことを知っているのか」とか言って、それでもうおしまいになったとか、そんな話もいっぱい聞きますので、両輪ですね。育てることと受け入れること。それを企業が活用する。企業の活用というのは、活用せざるを得ない時期に来ているわけです。そういう人材がいなければ、結局は欧州とかの言うなりにやらなければいけないということになりますので、そこのところを自分たちでやっていくということが重要ですよね。

◆ 新たな活躍の舞台へ

武居:最後に、来年度以降、研究員の方たちの活動にどんな期待を持っていらっしゃるか、お聞かせ下さい。

中西:まだ正式に決定してはいませんが、爆発安全研究センターという機関(現、爆発安全研究コア)とライフサイクルアセスメント(LCA)研究センターとCRMが中心になり、さらに何人かの方が集まって、新しい安全科学研究部門(仮称)という組織を作り、産総研として、さらに安全科学研究というものについて力を入れていこうという計画になっています。

リスク評価というものの中にLCAを取り入れなければならない時期が既に来ていると思っています。3年ぐらい前から、LCAとRA(リスクアセスメント)の統合と、組織という意味ではなくて、方法論としてそういう統合という課題を一つ考えて掲げてきましたが、実際にはあまり進んではいません。LCAを全面的に取り入れていくというのは、リスク評価にとって必然であると私はずっと言ってきました。

例としては、鉛のリスク評価書(『詳細リスク評価書シリーズ9「鉛」』)があります。出版された鉛のリスク評価書は非常に評判が高く、完売していますが、評価書で扱いきれなかった問題も残っています。

鉛の地球全体での動きだとか、商品として出荷された後に途上国でどういうことになっているかとか、あるいはさらに日本の国内であっても、リサイクルや廃棄物の現場で起こる現象で評価書には書かれていないような部分もあるのかもしれないとか、さまざまな問題がまだまだあります。私たちが一応バウンダリーとして考えてきた範囲の中では立派な評価書ですが、もうちょっとバウンダリーを広げて考えなければならない時期に来ていて、それによってもっと説得力のある評価書になると思っています。

もう一つ、鉛で考えますと、一つのきっかけが鉛フリーはんだです。鉛の有害性から、鉛を含有しないはんだの使用が推進されていますが、実はそれが事故につながる可能性を非常に心配しています。リスク評価の中に、事故のリスクというもの、これは化学物質を使わなかった場合のリスクですが、それも、ある種、化学物質のリスクとして取り込んでいくべき時期に来ているわけです。

その他にも、難燃剤のリスク評価に取り組んできましたが、難燃剤を使わなかった場合の火災のリスクはどうかということが当然ありますが、私たちの評価書の中ではどうしてもなかなかそこまで肉薄できませんでした。ですから、事故というようなもののリスクを、リスク評価の中に入れていく枠組みをつくらなければいけないと思っていました。

今回LCAと一緒になることで、リスク評価の中にLCAを取り込んでいきたいと考えています。さらに爆発安全研究のほうが、統計などを見たりさまざまなところから調べたりして、事故のリスクというものをある程度数値化していくことをやってくれるということになりましたので、そういうものもあわせて、一回り大きなバウンダリーでの新しいリスク評価として、ワンステップ上がるチャンスかなと思っています。

そういう安全科学研究部門という中で、さらに視野の広がったリスク評価を、みんなが次の世代として目指してほしいなと。丁度そういう舞台がまた用意されようとしている。非常にいい舞台というか、仕事場ではないかと思っています。

武居:どうもありがとうございました。CRMの7年間の成果の集大成と、来年度以降の新たな活躍の舞台での皆さんのチャレンジにさらに期待したいと思います。

(了)

*この記事は、インタビューの全文です。紙媒体やPDFファイルは、抜粋したものを掲載してあります。

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化学物質リスク管理研究センター

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