特集:リスクトレードオフ解析手法開発プロジェクト

 

化学物質リスク管理研究センター(CRM)では、この度、平成19年度から23年度の5年間の予定で、(独)新エネルギー・産業技術総合開発機構(NEDO)の化学物質総合評価管理プログラムの一環として公募された「化学物質の最適管理をめざすリスクトレードオフ解析手法の開発」プロジェクトを受託しました。
 
ヒト健康や生態に対してリスクが懸念される化学物質を同じ用途に用いられる他の化学物質で代替する場合には、代替物質のリスクを評価し、リスクが代替により低減されることを確認する必要があります。しかし、代替される元物質と代替物質の両方、あるいはどちらかの物質の暴露情報や有害性情報が欠けており、ヒト健康や生態へのリスクを定量的に評価できない場合も少なくありません。そこで、リスクトレードオフ解析手法の開発プロジェクトでは、欠如している暴露情報や有害性情報を補完し、元の化学物質のリスクと代替物質のリスクを同一の尺度で科学的・定量的に比較し、費用対効果等の社会経済分析も実施できる手法を代表的な5つの用途群(洗浄剤、プラスチック添加剤、溶剤・溶媒、金属類、家庭用製品)の物質を対象に開発します。CRMでは以下に示す6つの研究開発項目を設定し、外部の企業や機関と協力して、このプロジェクトを推進します。

  1 排出シナリオ文書(ESD)ベースの環境排出量推計手法の確立
  2 化学物質含有製品からヒトへの直接暴露等室内暴露評価手法の確立
  3 地域スケールに応じた環境動態モデルの開発
  4 環境媒体間移行暴露モデルの開発
  5 リスクトレードオフ解析手法の確立
  6 5用途群の用途群別リスクトレードオフ評価書の作成

上記1〜4は、暴露情報の欠如の補完と用途群の特徴と化学物質のライフサイクルを考慮した暴露評価手法の開発に係る項目です。また、5はヒトや生態系への有害性情報の欠如を補完・推論し、同一の尺度でリスクを比較する手法の開発に係る項目です。さらに、開発する手法が行政や事業者に広く活用されるように、代表的な5用途群のリスクトレードオフ評価書等を策定し、公開します(研究開発項目6)。CRMは、このリスクトレードオフ解析手法の開発プロジェクトを通して、複数の化学物質および化学物質以外の多くのリスク要因を対象とするマルチプルリスクの評価とその管理について研究を推進することを目指しています。(文責 吉田喜久雄)                                             

1. 排出シナリオ文書(ESD)ベースの環境排出量推計手 法の確立

本プロジェクトで環境モニタリングデータ等の情報がない化学物質の暴露を解析するためには、環境動態モデルに入力するための当該物質の環境媒体別の排出量データが必要になる。しかしながら、化学物質はその製造、加工、使用および廃棄などの各ライフサイクル段階から環境中に排出されており把握は容易ではない。
 
一方ESDとはEmission Scenario Documentの略であり、日本語では排出シナリオ文書と呼ばれるものである。OECDではESDを「化学物質の製造、加工、使用、再利用・廃棄の過程から水、空気、固体廃棄物への排出を定量化するため、排出源、移行経路、製造工程および使用パターンの状況を示した文書」と定義している。ESDは化学物質の排出プロセスに注目したものであるため、化学物質の用途や事業者の業種毎に策定される。
 
本研究開発項目は、本プロジェクトで対象とする5つの用途群(洗浄剤、プラスチック添加剤、溶剤・溶媒、金属類、家庭用製品)に対し、ESDを整備することによって、化学物質の用途から排出量を類推しうる環境排出量推計手法を確立することを目指している。具体的には用途群毎に以下の3ステップで研究開発を行っていく予定である。

1)排出係数の工程・装置・使用状況などの工程特性による  分類化

対象物質の生産量/使用量,排出量を調査した上で、製造、加工、使用および廃棄のライフサイクル各段階から環境への排出寄与が大きい排出過程をマテリアルフロー解析によって特定する。それらの過程からの排出係数を物性や工程特性(装置種別、運転状況、使用状況、廃棄状況等)で分類する。

2)排出係数推定法の構築

1)で得られる排出係数と工程特性との関係をベースとしながら、重要な工程特性については詳細な調査を行うことにより、排出量と工程特性を関連づけて排出量推定式を導出する。得られた個々のライフサイクル段階や工程毎の排出量推定式を濃度測定実験などにより検証する。

3)ESDの策定

導出された排出係数推算式を統合化し、主要ライフサイクル段階毎に化学物質の環境排出量の推計手順、推計に用いるデータ等で構成されるESDとしてとりまとめて公開する。 
 
具体的には前半の3年間で、「洗浄剤」と「プラスチック添加剤」に重点を置いた研究開発を行うため、以下でこの2用途群を例に説明する。
 
洗浄剤では、ハロゲン系(塩素系等)、炭化水素系、水系(準水系含む)などの工業用洗浄剤を対象とする。洗浄工程を主要発生源と想定し,洗浄工程の種々特性(洗浄装置、周辺装置、運転状況、被洗浄物)等を詳細に調査・解析する予定である。
 
一方プラスチック添加剤では、可塑剤や酸化防止剤などを対象とする。最終製品の消費・廃棄段階でも排出が予想されるため、生産から廃棄に至るまでの全ライフサイクル段階毎で調査を行い、排出への寄与が大きいライフサイクル段階を特定して、詳細に解析を行う。(文責 梶原 秀夫)


2. 化学物質含有製品からヒトへの直接暴露等室内暴露  評価手法の確立

化学物質の暴露によるヒト健康リスクは、大気を含む一般環境経由の暴露(間接暴露)の寄与よりも、室内暴露(直接暴露)による寄与の方が大きいケースもあり、暴露総量を勘案した適切なリスク評価を行うためには、室内暴露の影響は無視できない。室内暴露の要因としては、建材、壁材、家具等からの揮発成分による暴露(受動暴露)と、電化製品や防虫剤等の消費者製品使用時の暴露(消費者製品暴露)がある。室内暴露に寄与する化学物質の性質は多様であることから、ヒトへの暴露経路の特定も難しく、従って、原因物質と暴露量の関係がなかなか把握できない。このため、室内暴露(受動暴露および消費者製品暴露)の発生源と暴露濃度との関係の把握、さらにはリスク評価の手法確立は緊急かつ重要な課題である。
 
そこで、本研究開発課題では、室内での暴露およびリスク評価手法の確立のために、製品からの放散量と、その室内での挙動を明らかにし、吸入経路または経皮・経口経路での暴露量の推定を可能にするツールを開発する。このツールは、評価に必要なパラメータ情報が少ない、複数の化学物質を短時間で評価できる機能を持つ。さらに、消費者製品からの暴露量を、簡易でかつ的確に把握するため、生活・行動パターン等に関する情報(製品の使用頻度等のデータを含む)も収集し、暴露係数を決定する。

1)室内暴露評価ツールの構築
 
受動暴露と消費者製品暴露を評価するために、並行して開発する各種パラメータのデータベースや推定式を含む、ボックスモデルを基本とした室内吸入暴露ツールを構築する。また、外気濃度(大気中濃度)は、化学物質総合評価管理プログラムの下で、産総研で開発した大気拡散モデルである、AIST-ADMERの計算結果ファイルの取込機能を有する、使いやすいツールとする。これらを用いて、現状で使われている各種物質と代替物質による室内暴露量の評価を行うとともに、生活・行動パターンとして特徴的な室内環境を、家庭、学校、会社などのカテゴリーに分類し、ヒトの生活・行動形式を考慮し総暴露量の確率分布を求めて、リスクトレードオフ解析に供する。 

 

図

図1 室内暴露評価手法の確立
NITE:独立行政法人 製品評価技術基盤機構
AIST:独立行政法人 産業技術総合研究所

 

 


2)暴露ツールを使うための各種パラメータの整備と推定式の構築
 
暴露量推定ツールの利用のために必要な室内放散量、放散速度、分解速度、吸着速度について、既存データから収集整理するとともに、不足分は、チャンバーを用いた測定試験を実施することで補い、最終的には、製品の物性と用途、化学物質の用途と物性とで推定できるような推定式のセットを作成する。また、換気係数、住宅に関する指標(容積・部屋数)等について、ツールで利用可能な形式のデータベースを作成する。さらに、消費者製品による暴露を適切に評価するために、生活・行動パターン等に関する情報(家具等の購入頻度、製品の使用頻度、換気等の生活習慣等を含む)を収集し、暴露係数(中央値、偏差等の分布を含む)を決定するとともに、それらを総暴露量算出のツールにおいて利用可能な形式でデータベース化する。(文責 東野 晴行)


3. 地域スケールに応じた環境動態モデルの開発

溶剤・溶媒や洗浄剤で用いられる物質は、近年、PRTR調査対象物質からアルコール等のPRTR調査対象外の有機化学物質への代替が進んでいるが、これらの代替物質の中には、そのものの有害性は低いものの、環境中での二次生成まで考えた場合、アルデヒドやオゾン等の有害性の高い物質の前駆物質となるものも多く、必ずしもリスク削減にはつながっていない可能性がある。このようなリスクトレードオフ問題を解析するためには、排出物質の大気中濃度に加えて、光化学反応等によって二次生成されるアルデヒド類等の分解生成物の大気中濃度を知る必要がある。また、洗浄剤及び金属類のリスク評価では、河川等の水環境中での生態影響の評価が重要であり、界面活性剤等の有機物や金属の水環境中濃度を、全国の広い範囲で知る必要がある。しかしながら、上記で示したようなリスク評価に必要な情報の全てを、既存のモニタリングデータで得ることは不可能であり、モデルの活用が必要不可欠であるが、既存のモデルでは、推定可能な化学物質の種類、地理的範囲、利用しやすさ等の点において、十分ではない。
 
そこで、本研究開発課題では、二次生成過程を表現でき高解像度で濃度推定ができる大気モデルと、有機物だけでなく金属類の推定ができ、全国域をカバーする河川・海域モデルを開発し、実測値に代替してリスク評価に用いることを目標とする。

1)大気モデルの構築
 
揮発性有機化学物質の大気環境中の反応および沈着過程をモデル化し、三次元オイラー型の気象・拡散モデルに組み込むことにより、揮発性有機化合物の二次生成物質(主にオゾンとアルデヒド類)の大気環境中濃度が推定可能となる大気モデルを構築する。
 
気象モデルについては、米国コロラド大学で開発された地域気象モデルシステム(RAMS)を利用し、産総研で独自に開発する反応・沈着モデルを組み込む。反応・沈着モデルについては、米国環境保護庁で開発された光化学反応スキーム(CB4)を基本として、産総研でこれまでに実施した野外調査や数値実験の結果に基づき開発した反応・沈着過程およびパラメータを取り入れる。
 
本モデルで解析可能な対象領域は日本全国であり、基本的に5kmグリッドの空間解像度で全国をカバーするが、任意の地域で必要に応じてより詳細な解析が可能なモデルを最終的に構築する。併せて、気象パターンの類型化やキープロセスに特化した反応スキームの簡略化、計算スキームの見直しにより、計算の高速化を行う。

2)河川・海域モデルの構築
 
日本全国の1級河川と主要な内湾の化学物質濃度を、1kmグリッドの空間解像度で推定可能な拡散モデルを組み込んだモデルを構築する。併せて、金属等の有機物への吸脱着過程と反応過程および海洋生物への化学物質蓄積過程を上記モデルに組み込むことにより、生物利用性のある金属等の濃度の推計も可能なモデルとする。
 
これらのモデルの開発にあたっては、化学物質総合評価管理プログラムの下、産総研で開発した河川モデル(AIST-SHANEL)と海域モデル(AIST-RAM)のソースコードを可能な限り活用し、対象河川の拡大と、金属等の有機物への吸脱着過程および反応過程および海洋生物への化学物質蓄積過程の追加に絞って実施する。併せて、流域特性の類型化、計算スキームの見直しにより、対象領域の拡大による計算時間の増加を最小限に抑える。(文責 東野 晴行)

図

図2 開発予定の大気モデルの概要

4. 環境媒体間移行暴露モデルの開発


環境中に排出された疎水性で低揮発性の化学物質は、大気あるいは土壌を経由して農作物や飼料作物に移行する。また、飼料作物中に移行した化学物質はさらに、家畜に移行する。このため、プラスチック添加剤として使用される化学物質等の疎水性・低揮発性物質とその代替物質のヒト健康リスクを比較するためには、農産物および畜産物経由の経口摂取量を適切に推定することが重要である。しかし、個々の農作物への化学物質の移行は、物質の物性のみならず、個別農・畜産物の形状や脂肪含有率等にも大きく左右される。さらに、個々の農・畜産物は生育に適した異なる地域で生産される上に、生産地から消費地への流通経路も消費地ごとに異なる。したがって、リスクトレードオフ解析の中で、農・畜産物を消費する一般住民の暴露を多数の化学物質について迅速に評価するためには、様々なモデリング技法を駆使しなければならない。
 
そこで、本研究では、全国の生産地における個別農・畜産物中の化学物質濃度を物性等の限られた情報に基づいて推定する環境媒体間移行モデルおよび生産地から消費地への個別農・畜産物の流通量推定モデルを構築する。これらのモデルと消費地住民の農・畜産物経由の摂取量の分布を推定する暴露モデルを統合し、環境媒体間移行暴露モデルを開発する。
 
本研究は、以下の4つの研究要素で構成される。

1)地理情報システム(GIS)を用いた地域特性データベース  の構築
 
開発する環境媒体間移行暴露モデルで使用する地域特性パラメータ(表層土壌の特性、人口構成、土地利用、農作物・飼料作物生産量、家畜飼養頭数等)に関するデータベースをGIS上に構築する。そして、このデータベースを用いて、地域特性パラメータの代表値や確率密度関数を決定する。

2)環境媒体間移行モデルの構築
 
決定した地域特性パラメータの代表値や確率密度関数に基づいて、大気からの沈着と直接的な負荷に伴う化学物質の農地土壌中濃度を推定する土壌モデル、大気および土壌からの取り込みに伴う植物中濃度を推定する植物モデル、飼料等からの取り込みに伴う畜産物中濃度を推定する家畜モデルの3つの環境媒体間移行モデルを構築する。これらのモデルにより、全国の生産地における個別農・畜産物中濃度の推定を可能とする。

3)個別農・畜産物の流通量推定モデルの開発
 
既報の流通情報は限られているため、構築する地域特性データベースで管理されるデータを用い、重力モデルやエントロピー最大化モデルといった空間的相互作用モデルで全国の生産地から消費地への農・畜産物の流通量を推定するモデルを構築する。空間的相互作用モデルで扱う生産地パラメータとしては農作物生産量、飼料作物生産量、家畜飼養頭数等を、消費地パラメータとしては人口等を検討し、生産地と消費地間の距離等も考慮する。

4)環境媒体間移行暴露モデルの開発
 
消費地の一般住民の農・畜産物の摂食量や体重の個人差を反映した摂取量の分布を推定する暴露モデルを構築し、土壌、植物および家畜の各環境媒体間移行モデルおよび農・畜産物の流通量推定モデルと統合し、環境媒体間移行暴露モデルを構築する。
 
この環境媒体間移行暴露モデルは、リスクトレードオフ解析手法開発プロジェクトで対象とする主要用途群の1つであるプラスチック添加剤の代替化によるリスクトレードオフ解析に適用する。(文責 吉田喜久雄)

 

図

図3 環境媒体間移行暴露モデルの概要

 


5. リスクトレードオフ解析手法の確立
 
a) ヒト健康リスク
 
リスクトレードオフやリスク削減対策の費用対効果を定量的に評価するため、CRMではこれまでにも損失余命等を尺度としたリスクの定量評価を行なってきた。しかし、その評価には、疫学調査結果など、必要とする情報量が多いため、評価可能な物質は限られ、また、大胆な仮定に拠らざるをえない部分も多かった。今後、定量的なリスクトレードオフ解析を幅広い物質に対して適用するためには、限られた有害性試験データしか得られていない物質についても、ヒト健康リスクの大きさを比較可能な形で定量的に評価する必要がある。 

研究開発の概略を図4に示した。既存の有害性試験データを収集し、データマイニング等の解析を加え、影響の種類や、用量反応関係式を見積もる推論アルゴリズムを作成する。これにより、評価対象物質について得られている動物試験等の結果と、別途推定される暴露レベルの推定結果から、健康リスクの大きさを、QALY(質調整生存年数)の損失という尺度で定量的に推定することが可能になる。損失QALYという指標は、損失余命に加え、QOL(生活の質)の低下をも、健康リスクの大きさの中に定量的に取り込んだものである。

 

図

図4 リスクトレードオフ解析手法開発
(ヒト健康リスク)


本課題は、統計学を専門とする研究所である統計数理研究所との共同研究である。統計学的解析の部分を統計数理研究所が担当し、有害性情報の収集、QALYの推定、結果の使い方に関する考察といったところをCRMが担当する。
 
本解析手法は、「限られた動物試験結果からであっても、ヒト健康リスクの大きさを確実な値として推定できる」ようなものではない。入力する情報が限られている状況において、確かな推定値を前提にしたのでは、評価は立ち行かない。むしろ情報量に応じた不確実性の大きさを明示的に考慮することで、情報の少ない物質についてもトレードオフ解析を可能にする戦略をとることにした。上記の推論アルゴリズムは、確率論的な推定を行なうものとして構築され、推定結果は、推定値およびその不確実性の大きさである。
 
例えば、不確実性が非常に大きい2つの物質のリスクを比較するケースでは、次のような可能性がありうる。1)不確実性の大きさを考慮しても優劣が明らかとなる。2)不確実性を考慮すると両者に有意差がないが、期待値としては優劣を論じることができる。3)優劣をつけることはできず、更なるデータの取得が推奨される。データの取得が推奨されるケースが頻出するなら元も子もないように思われるかもしれないが、本課題で構築される推論アルゴリズムを用いることで、どのような試験を行なえばどのくらい不確実性が狭まるか、それは試験コストに見合うものか、といった評価も可能となる。
 
本解析手法は、リスクトレードオフという文脈での意思決定を支援するという目的で設計されている。そのため、これまでの毒性学が、1つ1つの物質のリスクを判定するという目的のもとで、主に、個々の物質における毒性作用機序を明らかにし、それを用いたリスク評価が安全側の仮定のもとで無影響濃度を推定することを目指してきたのとは異なる方向性を持っている。 (文責 蒲生 昌志)

b)生態リスク
 
異なる物質間の生態リスクのトレードオフを評価するには、個々の物質に関する有害性情報の有無や多少によらず、それぞれの生態影響を共通のリスク指標で定量化し、比較することが必要不可欠である。一般に、化学物質の生態リスク評価は、生態系の各栄養段階を代表する試験生物種(藻類、甲殻類、魚類など)の各個体を対象とした生存・生長および繁殖への毒性試験データの存在する物質は限定されており、個々の物質の評価に利用可能な毒性試験データの質(種類・信頼性)や量も異なっていたため、これまでの生態リスク評価では、様々な影響指標(個体の生死、種の感受性分布および個体群の存続)と不確実性係数に基づいた物質ごとのリスク判定を行なったに過ぎず、異なる物質間の生態リスクのトレードオフ評価には対応できなかった。また、生態リスクの大きさを表現するリスク指標については、これまで様々な指標が提案されてきたが、物質間のリスクトレードオフ評価に対する有用性の面から検討されることはほとんどなかった。
 
そこで、本研究では、有害性情報(毒性試験データ)の有無や多少によらず、どの物質についても共通のリスク指標により物質間の生態リスクトレードオフを評価できる手法の開発を目指す。この手法の開発に際して、以下2つの要素技術を開発する必要がある。

1)有害性影響推定手法の開発
 
従来の有害性推定手法は、毒性試験データの存在する物質と構造類似性の高い物質を対象とした、標準的な試験生物に対する標準的な急性毒性値(例えば、ファットヘッドミノーの96時間暴露の半数致死濃度)の推定にとどまることから、様々なデータマイニング手法を用いて、欠如した有害性情報を補完するための有害性影響推定手法を開発するほか、生態リスクの定量化において重要な意味を持つ慢性毒性値や、暴露条件および生物種に応じた毒性変化なども推定できる手法の開発を試みる。

2)リスク比較に適した共通指標の開発
 
リスク比較に適した指標として、種の感受性分布解析や個体群存続影響解析に基づく共通指標の開発を目指す。そのために、解析に適した生物種の検討、必要な有害性情報の整備、特に各物質について推定した有害性情報(外挿か内挿か等)の不確実性の定量化などを行う。
 
具体的な研究アプローチは図5に示す通りである。
 

図

図5 リスクトレードオフ解析手法開発(生態リスク)
個体SSD:個体レベルの毒性値に基づいた種の感受性分布
λ:試験生物の個体群増殖

 
 
まず、5つの用途群の物質を対象に、国内外の既存の生態毒性データベースや評価書等から、各生物種に対する有害性情報(暴露条件を含む)を収集し、物質の用途や構造情報、物性および毒性作用機序等の情報を含むデータベースを作成する。また、物質間の生態リスクを比較するため、種の感受性分布解析や個体群存続影響解析に適した生物種を検討し、リスク指標を決定すると同時に、リスク指標値を算出するために必要な有害性情報の種類等を明らかにする。
 
次に、洗浄剤およびプラスチック添加剤の2つの用途群の物質に焦点を絞り、データマイニング、統計的外挿モデル(階層的ベイズ法等)、ニューラルネットワークモデル等の非線形モデルによるデータ解析手法を用いて、欠如した有害性情報を補完するための有害性影響推定手法のプロトタイプを確立し、リスク指標値を算出するための有害性情報を揃える。
 
最後に、2つの用途群の物質に対する利用可能な暴露情報を用いて、影響を受ける種の割合または個体群増殖率を指標とした各物質のリスクの大きさを算出し、同じ用途群に属する物質間のリスクトレードオフを解析する。これによって、開発した手法の有効性を確認するとともに、手法の高精度化に関する検討を行い、残りの3つの用途群の物質に対するリスクトレードオフを解析する。(文責 林 彬勒)


6. 5用途群の「用途群別リスクトレードオフ評価書」 の作成
 
平成21年度までに、「洗浄剤」と「プラスチック添加剤」を対象とした用途群別リスクトレードオフ評価書を作成し、公開する。さらに、プロジェクトの最終年度までに、「溶剤・溶媒」、「金属類」、「家庭用製品」を対象とした用途群別リスクトレードオフ評価書を作成し、公開する。評価書の内容は、用途群ごとに、代替関係にあるような物質群を特定し、排出量の推計、環境動態モデルによる環境中濃度予測、ヒトへの暴露評価、ヒトと生態系への有害性影響・リスクの定量化、物質代替にかかる費用の推計の各結果を記述し、かつ、それらを連結し、既存物質と代替物質との間のリスクトレードオフと費用対効果に関して、一定の結論を導き出すものである。これらの評価書は、産業界が化学物質についての自主管理を実施する上で、リスクのトレードオフを乗り越えた合理的な意思決定を行うための手引きとなることを目指している。また、評価書とは別に、暴露解析等の手法別にリスクトレードオフ評価指針を策定し、行政による規制影響評価や事業者(団体)による自主管理の評価において広く活用できるように公開する計画である。(文責 岸本 充生)

 

 このページのトップへ戻る


化学物質リスク管理研究センター

独立行政法人 産業技術総合研究所