技術の社会受容性研究 
−リスク便益解析を軸とした代替物質評価−

水圏環境評価チーム チームリーダー 東海 明宏


◆はじめに

これまでCRMでは、プライオリティーの高い物質を対象として、暴露解析・有害性評価・リスクの定量化・対策の費用対効果の推定、という流れでリスク評価を実施してきた。その結果、ある物質のリスクが高いと判明した際、それまでその物質が担っていた役割は、代替物質や代替技術に置き換えられる場合があることがわかった。また、政府による規制や企業の製品開発は、代替というダイナミクスをより加速させる方向に作用するため、目的とする機能を実現する候補代替物については、ある一定のクライテリアでチェックした後、市場で受け入れるかどうかを問う視点のリスク評価が必要となってきた。すでに、この文脈で制度化されたものが、化学物質審査規制法であるが、化学物質の開発や製品設計における、意思決定空間の特性のために、しばしば後に判明する実環境での暴露特性や、有害性の問題への対処も見込んだ目的関数による評価を事前に行うことが必要となってきている。 

例えば、臭素系難燃剤は、臭素系ダイオキシンの生成が問題となり、すでに特定臭素系難燃剤のリスク管理に関る自主的管理計画が策定され、ユーザーに対する安全性情報の提供、製造過程からの排出抑制、デカブロモジフェニルエーテル(DecaBDE)の生産においては97%以上の純度とする等、の対策が実施されている。また継続してモニタリング調査も行われてきており、現況の暴露に関する情報は蓄積されつつあるものの、代替品を含めた評価は明示的にはなされてきてはいない。また、代替品は、未規制物質から選択されるため、暴露・有害性に関し、量、質ともに乏しい情報に基づく評価とならざるを得ない。 

代替がもたらす波及効果には、規制・自主管理の遵守といったプラス効果がある一方、これまで使ってきたプロセスの交換、廃棄など費用負担の増加も見込まれる。大づかみにみると、図1に示すように、物質の代替構造は、技術開発の進展といった押しの要因、国際的管理の枠組みの導入といった引きの要因、そして、政府による規制発動のバランスのもとで、構成される必要がある。代替のシステム化は、規制・国際対応支援への貢献、リスク管理を内蔵した製品開発への貢献につながるといえる。 

そこで、このような背景条件の整理に基づき,平成15年度から17年度にかけて、産総研において設定された分野別重点課題において、分野別推進課題と認められ、助成をうけた技術の社会受容性研究−リスク便益解析を軸とした代替物質評価について、概要を以下に紹介する。

図1

図1 物質代替のメカニズム

 

 
◆研究の目的・概要と実施体制

プラスチック難燃剤の開発は、国の産業政策と安全政策、国際競争の面で極めて重要である。従来の臭素系難燃剤が、環境影響やリサイクルへの対応不適で、禁止又は忌避されつつあり、精力的な代替物開発(「新規難燃剤競争」)が行われているが、臭素系難燃剤を越えるものは未だ見つかっていない。他方、環境規制の厳しい北欧ではテレビ等の火災が、米国に比べ50倍も多いと言われている。我が国も米国並みであるが、火災による総死亡者数は圧倒的に多く、年間2,000人で、交通事故死のほぼ5分の1と極めて大きなリスク要因である。その意味で、我が国における難燃剤の開発の意味は大きい。臭素系難燃剤が禁止または忌避されている理由は、環境影響とリサイクル性能であり、確かに疑いは持たれているが、本当にどの程度リスクがあるのかは、判然とはしていない。また、新規代替物質の候補はかなり開発されているが、それらも現時点では、難燃特性の面からのみ調べられているだけで、“非臭素系”ならいいというような、考え方も残っている。 

代替品開発の動向を知るために、特許の調査を行った。ここでは、評価手法そのものではなく、製品の開発を対象としている。検索用語(ハロゲン系難燃剤、リン系難燃剤)でヒットする特許件数でみると、平成14年から15年にかけてハロゲン系で減少、リン系で増加していたが、ここ10年の傾向をみると、件数としては、両者とも同様な傾向を示していることと、件数としては、ハロゲン系がリン系を上回っていることが確認できた。 

そこで、本プロジェクトでは、図2に示すような手順でこの問題に取り組んだ。 

この研究は、複数の分野が共同してアプローチするプロジェクトであり、産総研企画本部環境エネルギーチームの下で、CRMと環境管理技術部門が研究を推進した。


図2

図2 各年次での検討課題と構成

 

◆研究成果

研究成果の概要は次のとおりである。図3に、平成15、16、17年度における、個々の検討の経緯を示した。

1)物質代替を対象としたリスク評価手法の開発と適用 

代替物質の導入動向を調査するとともに、DecaBDEで構築した暴露解析モデルを他の代替物質に援用した。適宜、不足するデータに関しては、データ補間支援方法をリン系難燃剤、無機系難燃剤に適用し、経路別摂取量を求め、別途有害性評価を行い、暴露マージンと不確実性係数の比較によってリスクを推定した。ついで、エンドポイントをそろえた評価手法として、エキスパートの判断を活用する方法を援用し、DecaBDEから他の物質への代替によるリスク・リスクトレードオフの解析を行った。その結果、DecaBDEからエチレンビスペンタブロモフェニル(EBPBP)への代替は、リスク低減に向かっていることが確認できた。

2)DecaBDEの確率的排出量推定手法の構築 

DecaBDEの排出量推定に用いたデータを精査するとともに、生産、使用、廃棄の個々の段階からのDecaBDE排出量の推定を行い、大づかみにいって、国内需要数量の約1/1000が環境へ排出されていることがわかった。さらに、排出量推定過程に含まれるデータの変動性を対象とした、2次元モンテカルロシミュレーションによる不確実性分析を実施し、排出量の上限値を推定した。また、屋内空間を含んだ多媒体モデルをもちいて暴露解析を行い、経路ごとの摂取量を推算し、暴露マージンを経年的に推定した。DecaBDEへの削減対策によって暴露量の低下が実現していることを確認した。

3)生体試料バンクを活用した暴露実態の把握 

京都大学医学部で運営されている生体試料バンクに保存された生体試料(血液、母乳、食事)を用い、臭素系難燃剤のうち、DecaBDE、EBPBP、ヘクサブロモシクロドデカン(HBCD)、アンチモンの食事、血液中の残留濃度を測定した。ヒト血清試料中のDecBDE濃度は、近年上昇していることが確認できた。DecaBDE以外の物質は、一部のサンプルを除いて、いずれも痕跡量程度であった。

4)代替物質のリスク比較 

代替動向を調査し、臭素系内部での物質の代替、臭素系からリン系等への代替シナリオを策定し、代替物質のリスクトレードオフについて検討した。これらの検討の過程で、臭素系難燃剤のリスク評価、リン系難燃剤(有機リン酸エステル)のリスク評価、アンチモンのリスク評価書を策定した(継続中)。臭素系難燃剤は、DecaBDEと EBPBPを対象とし、代替によるリスク管理に焦点をあてた評価を行った。リン系難燃剤に関しては、トリキシレニルホスフェート(TXP)、トリクレジルホスフェート(TCP)、トリフェニルホスフェート(TPP)の各物質のリスク評価を実施するとともに、それらと代替関係にある物質からの代替に伴うリスクの変化に焦点をあてた評価を行った。アンチモンに関しては、大気、水経由の暴露データを収集整理するとともに、モデル解析によって、発生源と暴露濃度との対応付けを図るととともに、これまでとられた対策の総括、今後必要となる調査研究をとりまとめた。

 

図3

図3 プロジェクトのロードマップ

 

◆総括的考察 

CRMのミッションである、リスク評価手法の開発と詳細リスク評価書の策定という課題に沿って検討を進めることができたため、リスクの定量化に関しては先行知見を活用して進めることができた。しかし、異なるタイプのリスクを統一指標にそろえる部分や火災のリスクとの等価変換に関しては、今後とも検討の余地を残している。 

推進体制面では、環境管理技術部門の分析技術を担うグループの参加によって、各種の環境試料中の化学物質分析値を暴露評価、リスク評価に用いる際のデータの精度点検等に資する知見を入手でき、また、暴露媒体に関するデータ収集(平成16年度実施課題:家屋内の埃に含まれる臭素系難燃剤の分析)を担当していただいた。このような協力体制によって、リスク評価に必要なデータの整備体制の充実を図ることができた。これは、産総研におけるユニット間の連携によって成しえたことであり、計測技術を担当する部門との連携は今後とも重要であることを再確認した次第である。 

化学物質のリスク管理は、リスクが高いと判定された物質に対するリスク削減対策の導入が必要となるが、一方で、その化学物質をゼロにすることはできないため、必然的に代替物質が求められる。また、リスク回避が、定量的なリスク評価に基づかず、部分的な情報(例えば、脱臭素化をめざす)によって、材料調達方針が、川下から川上側に要求されると、代替品開発もその場しのぎ的なものとならざるをえない。代替物質は未規制物質であり、有害性、暴露情報が十分でない場合がほとんどであり、結果として、代替によってリスクが低減したかどうかがあいまいになることすらありうる。このようなデータの質を考慮し、さらに化学物質の導入によって削減可能なリスクと物質由来のリスクという異種のリスクを比較考量し、方針を求める方法は、産業部門にとって極めて重要な課題である。本プロジェクトが、化学物質管理を軸とした生産技術・製品由来のリスク評価・管理のプラットフォームの構築にむけての一筋道となると考えている。

  

 


化学物質リスク管理研究センター

独立行政法人 産業技術総合研究所