特集:工業ナノ材料のリスク評価 −その2−
ニュースレター第16号に掲載した工業ナノ材料のリスク評価の特集に引き続き、この分野におけるCRMの活動をご紹介します。

1.ナノテクノロジーの標準化とリスク

健康リスク評価チーム チームリーダー 川崎 一


ナノ粒子は、サイズが小さいが故に特異的な有害性を持つことが懸念されている。これまでに、培養細胞とナノ粒子を非遮光で培養すると遮光下での培養に比べて細胞障害作用が100倍以上増強されること、培養細胞とナノ粒子を培養すると細胞内のエネルギー産生小器官であるミトコンドリアを選択的に破壊すること、また、魚を用いた研究で脳の一部である臭球で酸化ストレスを生じたことを示唆する所見などが報告されている。これらの研究報告は、試験管内(in vitro)での細胞培養によるデータあるいは水槽での魚を用いた予備的な実験結果であり、これらのデータからナノスケールの微粒子が粒子サイズに特異的な有害性をもつことが示されたわけではない。そもそも粒子サイズに特有の有害性があるかどうかは未知である。また、報告されている生物反応が正しく粒子のサイズに起因する現象であるかどうかについては検証されていない。これは、試験系である培養液中あるいは水槽中のナノスケールの粒子サイズを正確に計測する技術がまだ確立されていないためである。 

ナノテクノロジーは日本が先導する有望な技術の一つであるが、製品としてはこれから普及する段階であり、安全性(有害性)に関する情報やデータも少ない。また、革新的な技術であるが故に、安全性に対する懸念が提起されやすい。従って、安全性上の懸念を払拭することがこのような革新的な技術の開発・普及には不可欠であり、ナノテクノロジーも例外ではない。 

ナノテクノロジーに用いられる化学物質は、すでに安全性が確認されていたり、あるいは長期間、安全に使われてきた物質と全くの新規物質とに分けられる。今、ナノテクノロジーの安全性で議論になっている問題の一つは、通常の安全な化学物質をナノスケールの微粒子状とした場合に新たな有害作用を生じるかどうかについての議論である。例えば、カーボンナノチューブやフラーレンの構成成分は炭素だけであるが、このようなナノ物質に、既存のカーボンブラックとは全く異質の毒性があるかどうかが議論の焦点のひとつである。2005年11月米国労働安全衛生研究所(National Institute for Occupational Safety and Health, NIOSH)は、二酸化チタンの職業暴露での許容暴露限界濃度をファイン粒子(粒径1μm以下)では1.5 mg/m3、ウルトラファイン粒子(粒径100 nm以下)では0.1 mg/m3と異なる値を提案した。これは、吸入暴露による動物試験でウルトラファイン粒子の方がファイン粒子よりも強い炎症反応と高い肺癌発症率を示すためであり、二酸化チタンを含め多くの粒子状物質の有害性が肺に沈着した粒子の総表面積と相関するという現象から導かれた一つの結論である。このような考え方がそのまますべてに当てはまる訳ではなく、結晶構造などによる例外が知られているが、粒子の表面積の大きさが有害性発現において重要な要因であることは間違いがないと考えられる。

図1

図1 ナノテクノロジーの安全性評価試験法の標準化に必要な計測技術

 

上述の表面積に関わる議論も含めて、粒子サイズに特有の有害性の有無については、日本や米国ですでに幾つかの物質について安全性試験が計画、あるいは実施されつつある。これに関連し、試験法の妥当性や技術的な課題についての議論(有効性、評価方針など)がOECD化学品委員会合同会合(OECD Joint Meeting of the Chemicals Committee)や国際標準化機構(International Organization for Standardization, ISO)などで始まっており、ナノリスクの議論には、先ず、ナノ材料あるいはナノ粒子の特性(粒子サイズ、個数、形状、比表面積など)を明確にすることが必要であるという考え方が認識されてきている。すなわち、ナノ材料の安全性を評価するためには、安全性試験に供する試験サンプル原体の粒子特性を明らかにしておくと同時に試験管内(in vitro)や動物などの試験系内でのナノ材料の特性を明らかにすることが必須条件となってきている。しかし、試験系内、特に水中に分散したナノスケールの微粒子の特性を計測する技術は、まだ確立された状況とは言えず、ナノテクノロジーの安全性評価には、このような計測技術の確立が先ず必要である。 

試験に供するナノ材料の微細化法も議論の焦点のひとつである。特に、ヒトの暴露経路として想定される吸入による安全性の確認には、実験動物を用いた吸入毒性試験を実施することが必要であり、その際、動物に吸入させるナノ材料は、できるだけ微粒子化することが求められる。また、試験管内で培養細胞への影響を評価する際にも、培養液中には、微細化したナノ材料を加えて試験する必要がある。というのは、多くのナノ材料は、製造、加工、使用あるいは廃棄の段階でナノスケールの微粒子として存在する可能性があり、特に将来、我々の身の回りの製品の多くにナノ材料が使われると想定した場合、それが何らかの形で元の一次粒子に近い形で体内に取り込まれたり、あるいは体内で一次粒子にまで分散化されることが想定されるためである。工業的には、界面活性剤を用いた分散化が行われているが、これらは培養細胞や実験動物に少なからず影響を与えるため、代替物質を含め、微細化法についての課題が残されている。以上のように、ナノ材料の安全性評価には、1.水中などの試験系に存在するナノ材料の粒子特性を計測する技術とともに2.ナノ材料を微粒子化する技術の確立が急務であり、これらが標準化の大きな標的の一つである。これらの技術が確立されて初めて、ナノスケールの微粒子に特有の有害性に関しての研究や試験法の検証・開発が可能となり、安全性試験法標準化の議論へとつながる。ナノ粒子の安全性を評価するために必要な計測技術および関連技術について鳥瞰的に図1にまとめた。この図からもナノテクノロジーの安全性評価には高い計測技術が必要であると同時に、それらの技術の標準化が重要であることが理解いただけると思う。 

このようなナノテクノロジーの安全性の議論が、実はISOで非常に活発に行われていることは意外と知られていない。すでに述べたようにナノテクノロジーに関する用語、計測やキャラクタリゼーションについて国際的な合意が形成されていないため、先ずナノテクノロジーに関する用語や計測技術の標準化が必要であることが認識され、2005年1月にISO内にナノテクノロジーの標準化に関わる委員会(ISO/TC229)の設置が提案され、正式には同年11月に第1回総会がロンドンで開催された。ISO/TC229設置提案の際に、ナノテクノロジーに派生する環境・安全問題についても標準化の議論を進めるということで各国が合意し、用語・命名に関する小委員会(WG1)、計測に関する小委員会(WG2)とともに、環境・安全に関わる小委員会(WG3)が設置された。 

ナノテクノロジーの安全性問題は化学物質などの管理・規制を協議する場であるOECDでの重要議題であり、工業標準化の議論とは馴染まないという反対意見もあったが、ISO/TC229とOECD化学品委員会合同会合とがリエゾンを形成し、相互に密接な情報交換を行うことで、混乱を避ける方策が取られている。このような経緯で日本国内にもISO/TC229に対応する組織として、第1回ロンドン総会の前に「ナノテクノロジー標準化国内審議委員会」および「用語・命名分科会」、「計測分科会」、「環境・安全分科会」が2005年9月に設置された。 

CRMは、2005年度からナノテクノロジー技術の国際標準化を目的として、経済産業省の委託事業である基準認証開発事業「ナノ粒子の安全性評価法の標準化に関する研究」を受託するとともに「ナノテクノロジー標準化国内審議委員会」に委員および「環境・安全分科会」の主査として参画し、ナノテクノロジーの国際標準化に深く関わってきた。このような標準化活動を通じて、ナノテクノロジーの安全性評価試験法の確立には、上述のような計測関係技術の確立と標準化が必要であることを改めて強く認識したところである。 

さて、その成果であるが、これまでに肺胞を構成する細胞群のうち線維芽細胞、マクロファージ、血管内皮細胞および中皮細胞などの培養細胞系を確立できた(図2)。また、これらの培養細胞系を用いて、アスベスト、二酸化チタン、シリカなどを標準物質として細胞機能(生理活性物質の産生能)に対する影響を確認し、次いでカーボンナノチューブ、フラーレンなどの炭素系ナノ物質の培養細胞に対する影響を評価した。これまでの研究から、これらの物質の細胞機能に対する影響は一様ではなく、組み合わせによって異なる反応を示すことが明らかとなった。今年度中に肺胞上皮細胞系を確立して肺胞を構成する細胞系を一通り揃え、試験物質と培養細胞系の組み合わせによる反応マトリックスを完成させ、それにより試験管内(in vitro)の反応ではあるが、総合的な評価システムの構築に必要な情報を整理し、in vitroで強い生物反応を有するナノ物質の選別や生体影響の発現メカニズムを解析できるような試験システムを、構築する予定である。

 

図2

図2 肺胞の構造とそれを構成する細胞および中皮細胞

 

 


化学物質リスク管理研究センター

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