− 詳細リスク評価書 鉛 −
小林 憲弘・内藤 航
2006年9月20日、「詳細リスク評価書シリーズ 9」として鉛の詳細リスク評価書が丸善株式会社より出版されました。CRMとして初めての金属類の詳細リスク評価書になります。本稿では「鉛」詳細リスク評価書の概要をご紹介します。
◆目的と範囲
本評価書は、我が国の一般環境中に存在する鉛の、ヒト健康および生態系に対するリスクを定量的に評価したものである。本評価書の目的は、国や地方自治体および鉛を日常的に取り扱う事業者が、環境中への鉛の排出削減対策を行うべきかどうか、あるいはどのような削減対策が有効であるのかを判断する際に有用な情報を提供することである。ヒト健康リスク評価では、対象を我が国に居住する一般人口とした。すなわち、大気吸入、食品および飲料水等の摂取による日常的な鉛暴露により生じるリスクのみを対象とし、鉛を取り扱う工場の労働者などへの作業中の暴露によって生じるリスクについては対象外とした。
生態リスク評価では、対象を公共用水域における水生生物とした。野生鳥類の鉛中毒の問題については、その現状と対策等の記述に留め、定量的な評価は実施しなかった。
◆発生源の特定と環境排出量の推定
鉛は、化学物質排出移動届出(PRTR)制度において、製造業者など鉛を取り扱う事業者からの環境中への排出量が報告されていることから、PRTRデータを解析することによって、これらの排出源から各環境媒体への鉛の排出量を把握した。ただし、PRTRデータだけでは、鉛の廃棄時における環境排出が完全には把握できていないと考えられたことから、製造段階から廃棄段階に至る鉛のマテリアルフローを解析することで、鉛の廃棄時における環境排出量を推定した。これをPRTRデータと合わせることで、鉛の環境中への排出量の全体像を推定した。2003年度の1年間を例とすると、大気への排出は64t、水域への排出は88t、土壌への排出は50tと推定された。ただし、これらの排出には、鉛給水管からの鉛溶出や、鉛製の銃弾および釣り用錘の環境排出といった、鉛の使用時における環境排出が含まれていない。鉛製の銃弾および釣り用錘の環境排出については、使用量が多いため、無視できない量が環境中に排出されている可能性が示唆されたものの、環境中への排出状況についての情報が非常に限られていることから、排出量の推定を行うことはできなかった。これらの排出量推定は今後の課題である。
◆ヒトに対する暴露評価
環境中および食品・飲料水中の鉛濃度のモニタリングデータを利用して、環境中鉛のヒトへの暴露量の推定および推定結果の評価を行った。暴露評価の対象集団は、一般の成人および0〜6歳の小児とした。また、暴露量の変動性や個人間の暴露量の違いを考慮するために、環境中鉛濃度や暴露パラメータ(食品摂取量や体重など)に分布を与えたモンテカルロ・シミュレーションを行うことによって、鉛暴露量を分布として推定した。
小児(0〜6歳児の平均)と成人に対する、鉛暴露量分布の50%値は、吸入暴露量についてはそれぞれ0.012μg/kg/dayおよび0.0076μg/kg/day、経口暴露量についてはそれぞれ1.6μg/kg/dayおよび0.63μg/kg/dayと推定された。
小児、成人共に経口暴露量の方が2桁程度も多いことから、経口暴露が主要な取り込み経路であると考えられた。さらに、経口暴露量全体に対する、土壌・粉塵、食品、および飲料水からの摂取それぞれの寄与率を求めたところ、食品摂取の寄与が小児、成人共に80%以上と高い値であり、食品摂取が最も重要な暴露経路であると考えられた。
◆ヒト健康に対する有害性評価
鉛の毒性に関しては紀元前から知られており、ヒトに対する影響に関する多くの調査研究がなされているため、他の化学物質と比べてヒトの毒性に関するデータが多い。鉛の有害性に関する既存の情報を収集・整理および総合判断した結果、鉛によるヒトへの有害影響が認められる最低濃度レベルは血中鉛濃度10〜20μg/dL付近であり、特に小児における中枢神経系への影響が最低濃度レベルで認められる有害影響であると考えられた。
中枢神経系に対する鉛の影響について、閾値の有無に関する結論を得ることはできなかったが、血中鉛濃度が10μg/dL未満の場合には、小児に対する有害影響は観察されていないことから、血中鉛濃度が10μg/dLを超えないことが重要であると判断した。
そこで本評価書では、ヒト健康リスク評価のエンドポイントとして「小児の中枢神経系への影響」を選択し、血中鉛濃度10μg/dLをその参照値として用いることとした。
◆ヒト健康に対するリスク評価暴露評価および有害性評価の結果を利用して、現在の我が国における、鉛のヒト健康リスクを定量的に評価した。
リスク評価の対象集団としては、小児を選択した。鉛の場合は、小児の方が成人よりも体重当たりの暴露量が多く、吸収率が高く、排泄率が低い上に、より低い体内濃度で有害影響の発現が見られることから、最もリスクの懸念される集団は、この年代の小児であると判断した。対象集団の血中鉛濃度分布を、静岡県における実測調査およびヒト体内動態モデル(IEUBKモデル)を用いた推定の両方によって取得し、これを有害性評価で得られた参照値と比較した。
静岡県における0〜15歳の小児を対象とした調査から得られた血中鉛濃度分布から、血中鉛濃度が有害性の懸念濃度である10μg/dLを超過する確率を求めたところ、0歳児を除き0.01%以下であった(図1)。超過確率1〜5%は最小限の暴露による許容できるリスクであると考えられたことから、調査対象集団においてはリスク削減が求められるレベルではないと判断した。
図1.静岡での調査により得られた血中鉛濃度分布(全対象者)
一方、IEUBKモデルを用いて推定した小児の血中鉛濃度から、超過確率を推定したところ、飲料水中鉛濃度の高い地域に居住する小児のみ、その超過確率が1%よりも高い値であった(表1)。しかし、基準となる超過確率1〜5%を大きく上回る値ではないため、早急なリスク削減対策が要求されるレベルではないと考えられた。
表1.IEUBKモデルで推定した各集団の血中鉛濃度と超過確率
さらに本評価書では、現在行われている環境中への鉛の排出削減対策を幾つか取り上げ、ヒト健康リスク削減の観点から、その有効性を評価した。削減対策としては、「鉛フリーはんだへの代替」と「鉛給水管の交換」の2つを取り上げた。その結果、どちらの対策についても、大きなリスク削減効果は得られないと推定された。したがって、鉛フリーはんだへの代替に関しては、ヒト健康リスク削減の観点からは、緊急的な対策を講じる必要はないと考えられた。また、鉛給水管の交換に関しては、鉛給水管の使用に伴い飲料水中鉛濃度が非常に高い地域が特定できている場合には、このような地域から優先的に給水管の交換を進めていくべきであると考えられる。しかし、平均的な暴露を受けている集団の超過確率は十分に低い値であるため、全体的には中−長期的な観点から現在行われている鉛給水管の交換を継続していくことで対策は十分であると考えられた
◆生態リスク評価
水生生物に対するリスク評価においては、評価エンドポイントを「水生生物個体群の存続性」とし、スクリーニング評価と魚類個体群レベル評価を段階的に行った。スクリーニング評価では、20種の個体レベルの影響(生存、繁殖および成長)に対する無影響濃度(NOEC)を用いて種の感受性分布を作成しスクリーニング値(SV=5.6μg/L)を求めた。公共用水域における鉛の実測値とSVを比較した結果、実測値がSVを超過し、かつ濃度が明示されている地点の数(割合)は、1999年度で140地点(2.8%)、2000年度で132地点(2.8%)、2001年度で155地点(3.3%)であった。
魚類個体群レベル評価では、イワナ、ウグイおよびニゴイについて、文献の記述に基づき得た濃度-反応関係と各種の生活史データより鉛の暴露濃度と個体群の増加率(r’)の関係を求めた(図2)。種iのr’が0となる濃度(PBVi)、つまり個体数が一定に保たれる濃度は、ウグイ:68μg/L、ニゴイ:78 μg/L、イワナ:167μg/Lと推定された。公共用水域における測定値(最大検出値)がPBVウグイを超過した地点は1999〜2001年度において2地点存在した。平均値でみるとPBVウグイを超過する地点は存在しなかった。これより、日本の大部分の公共用水域において、鉛が魚類個体群の存続性に対して有害な影響を及ぼす可能性は極めて低いと判断した。
図2.鉛の暴露濃度と各魚種の増加率( r')との関係
野生鳥類の鉛中毒は、鉛製の銃弾や釣り用錘を直接あるいは間接的に摂取することにより引き起こされることが知られており、現在も各地で被害事例が報告されている。日本における野生鳥類の鉛中毒防止に向けた対策は、まだ緒についたばかりであるが、北海道におけるワシ類の鉛中毒防止対策の例に見られるように鉛弾の使用自粛・禁止は一定の効果を上げているようである。野生鳥類の鉛中毒の発生は、地域限定的な傾向が強いため、鉛中毒が懸念される地域周辺において鉛製の銃弾や釣り用錘の使用を制限すれば、そのリスクは低減していくと考えられた。
*「詳細リスク評価書シリーズ 9 鉛」の概要は、CRMのホームページでも公開しています。 http://unit.aist.go.jp/crm/*「鉛」詳細リスク評価書は、(独)新エネルギー・産業技術総合開発機構(NEDO)からの委託研究「化学物質総合管理プログラム・化学物質 リスク評価及びリスク評価手法の開発プロジェクト」と産総研独自の研究資金で行われてきた研究の成果です。