リスク評価の挑戦
神戸大学経済学研究科
教授
石川 雅紀
CRMのこれまでの業績は、多数の物質について、統一された考え方で環境リスクを評価してきたことだと思います。これは、大学の研究や、特定汚染物質に対する個別研究・対策でもできない事です。リスクの社会的最適管理を目指す上では何らかの標準的手法が必要です。標準化はまだまだ先かもしれませんが、どの道を選ぼうとも、統一された考え方で多数の物質を評価することは避けて通れないからです。CRMが個別の研究成果だけでなく、議論の土俵とも言うべきインフラを提案している点が社会的には重要です。専門家であればよりよい水道管やすばらしい送水ポンプを設計することができますが、全体システムとしてうまく働くか、費用がどうなるか、社会にとってどの程度役に立つか、人々がどのように評価するかは一通り作ってみて実証しなければ本当のところはわかりません。
リスク評価研究の次の挑戦として複合影響があります。これは複数の化学物質が同時に作用するときにそれぞれが単独で示す作用の単純な和と異なる作用をする場合を指します。日常的な事例としては、グルタミン酸とイノシン酸が同時に働くとそれぞれが単独で顕す「うま味」よりも遙かに強い「うま味」を感じます。これが昆布だし(グルタミン酸)と鰹だし(イノシン酸)を合わせて使っている理由です。
しかし、これは困難な課題です。対象物質の組み合わせをしらみつぶしにすることが不可能である以上、新しい考え方、手法が必要となります。化学物質をある程度限られた数の群に分類して群同士の複合作用を調べることが考えられます。これは専門家にとって特に困難な課題かもしれません。非専門家はCOD、BOD等が特定の物質ではない事は知らないでしょうし、専門家と違って混合物と純物質を峻別する事もありませんから興味もないでしょう。COD、BODがこれまで利用され、これからも利用される理由は、指標として一定の利用価値があり、これを代替するために成分分析をすすめたとしても、かかる費用に対応するような成果が期待できないからでしょう。化学物質を群として扱う複合影響はこの意味で非専門家から受け入れられる下地があると思います。しかし、敵はむしろ専門家の側にいると思います。COD、BODと違って、従来の手法で厳密にわかることをわざわざおおざっぱに調べるように見えるからです。
どの程度厳密に調べるか、どの程度の数の群に分類するかは、得られる情報と費用で決まります。科学の世界で価値ある情報は「正しい」、「間違い」、「わからない」しかありません。情報を得るための費用は科学的にはあまり重要ではありませんから、この課題に挑戦する専門家は社会的な視点が求められるでしょう。全体のバランスを見て、できることをやらないで自制することが求められるからです。これまで縦糸研究と横糸研究のコンセプトで、分析的に深めることと総合化することを研究者個人の内部で統合することを求めてきたCRMに新たな挑戦を期待します。