工業ナノ材料のリスク評価:1.リスク評価とリスク管理
リスク管理戦略研究チーム 蒲生 昌志
ナノテクノロジーは、様々な分野でのブレークスルーが期待される最新の技術分野である。その特徴は、ナノメートル(10-9 m=1mmの100万分の1)のスケールで起きる新しい物質の性質を利用していることにある。既によく知られた物質、例えば金などでも、ナノメートルのスケールまで細かくすることによって、全く新しい性質を示すことが知られている。また、フラーレンやカーボンナノチューブのように、炭素のみで構成されていながら、その特殊な構造によってユニークな性質を示す材料を作り出すことができる。従来とは桁違いの強度、集積度、効率を達成することが期待される。工業ナノ材料の持つ新規な物性への期待は、裏を返すと、新規なリスクへの懸念を意味することになる。ナノ粒子の有害性の特徴は今のところ必ずしも明らかとはなっていないが、ナノスケールのサイズの粒子は、表面積が大きいため生物活性が高い、生体内への吸収や体内での移動が容易であるといったことが指摘されている。
CRMは、産総研内部の他の研究ユニット、外部の研究機関や大学と連携して、工業ナノ材料のリスク評価研究に取り組み始めた。有害性評価としては、invitro試験から吸入暴露試験にいたるまで、階層化された有害性試験の実施を予定している。また、暴露評価としては、実環境での計測や、粒子の排出特性を把握するための模擬試験、環境中の挙動を把握するためのチャンバー試験を実施する。これらの各パートでの成果を集約し、最終的なアウトプットとしては、代表的なナノ材料の詳細リスク評価書を作成するとともに、工業ナノ材料のリスク管理への提言を行なうことにしている。
CRMの研究の一つの特徴としては、試験に供するナノ材料の調製と計測に相当の労力を割くことが挙げられる。一般にナノ材料は、強く凝集する性質を有しており、製造直後から暴露まで、一次粒子単体(一粒ずつバラバラ)で存在するのではなく、二次粒子(一次粒子同士や他の粒子と凝集して、ナノからミクロンサイズになったもの)として存在している。この凝集の程度は、粒子の挙動や有害性の発現に影響すると考えられており、実験等において観察された現象や値を解釈したり一般化したりするためには、ある程度凝集の程度がコントロールされ、また計測により把握されている必要がある。実際、既存の報告には、この点において不十分なものが多い。
もう一つの特徴は、様々な研究グループの連携のもとに、有害性評価、暴露評価、リスク評価を一つのプロジェクトとして推進することが挙げられる。連携して相互に情報や技術を共有することで、リスク評価に必要とされる情報を効率的に取得することが可能である。例えば吸入暴露試験を行なうにしても、被験試料として入手した材料の不純物等を確認し、それを適度に分散し、分散状態を確認し、気中に噴霧し、動物に暴露し、臓器での存在量や形態を把握し、生体反応を検出するという多くのステップがある。これらの各ステップは、それぞれの専門分野の高度な技術を要するものであり、そういった専門分野が有機的に連携しなければ吸入暴露試験の実施は不可能である。
工業ナノ材料の種類や用途が、今後大きく拡大していくことを考えると、とくに将来の材料や用途のリスク評価には、ある程度の不確実性は避けられない。ナノ材料の種類や用途ごとにリスク評価を実施したとして、その結果とリスク管理のタイプとの関係を図1に概念図として示した。図中には、1)不確実性を考慮してもリスクの懸念はないので、その用途での使用は問題ない、2)可能な限りの対策をとってもリスクの懸念は払拭されず、その用途での使用は認められない、3)リスクの懸念があるため、使用・排出・暴露の削減対策を講じる、4)リスクの懸念があるため、材料の組成を工夫して有害性を低減する、5)一定程度のリスクを認めて許容する、6)不確実性が極めて大きくリスクの懸念が存在するため、暴露や有害性に関する情報を追加的に取得し、懸念を払拭する、といった様々なパターンを示した。
工業ナノ材料のリスク評価およびリスク管理が適切に行われることによって、工業ナノ材料による健康被害が生じることなく、また、人々のリスク不安も拡大することなく、ナノテクノロジーの技術発展と市民による便益の享受が達成されることを願っている。CRMとしては、そのための技術的基礎および考え方の基礎を提供できればと考えている。
図1.リスク評価結果とリスク管理のタイプ