− 詳細リスク評価書 p -ジクロロベンゼン −
小野 恭子
◆ジクロロベンゼンの用途と排出量
p-ジクロロベンゼン(pDCB)は、その有用性から防虫・消臭剤としての利用の歴史は長く、また、工業的には有機合成の原料などとして使用されている。防虫や消臭剤としての利用量は18,000t(うち家庭用用途が17,000t程度、2002年)であり、ほぼその全量が、室内の空気を経て環境中(主として大気中)に放出される。工業原料としての利用(20,000 t、2001年)においてはその一部が環境中に排出される。2002年のPRTRデータによれば届出事業所からの排出は81t(排出先は99%が大気)であった。
◆本リスク評価の目的と特徴
pDCBは室内空気や個人暴露サンプルから高濃度で検出されることがあり、長期暴露に伴う健康影響も懸念されている。日本では、pDCBの中心的な用途が衣料用防虫剤としての使用であることから、室内空気の吸入による暴露に着目し、その上で、暴露と有害性に関する知見を整理・解析することによって、現状での使用実態におけるリスクの大きさを見積もることを本リスク評価の目的とした。特徴としては1)使用実態を踏まえた暴露濃度分布推定、2)国内における既存のリスク評価で用いられた値とは異なる、独自の有害性評価に基づく参照値の提案、3)リスク削減対策の定量的な提示、が挙げられる。なお、本評価ではリスク評価の対象をヒト健康とし、生態リスクについてはpDCBの初期リスク評価1)において「懸念レベルにない」と結論されていることから、評価は実施しなかった。
◆リスク評価の流れと結果
ヒトに対する暴露評価は、pDCBの室内濃度および屋外濃度を基に、生活時間と室内使用量の違いを考慮して行った。室内濃度の分布は後述の方法で求め、屋外濃度はAIST-ADMERによる予測値0.42μg/m3で一律とした。生活時間は「主婦、幼児、老人等」、「勤労者と学生」の2群、室内使用量の違いにより「室内使用大の家庭」、「室内使用小の家庭」、「室内使用なしの家庭」の3群に分類し、全部で6つの集団について、暴露濃度が参照値を超過する割合を求めた(表1)。表1.暴露集団ごとに区分した各群において、暴露濃度が参照値800μg/m3を超過する割合
暴露濃度が参照値800μg/m3を超過する割合は、最も割合の高い群(「室内使用大の家庭」における主婦、幼児、老人等のグループ)で5.4%であった。また、全人口に対する参照値を超える人数の割合は2.4%と推計され、これに該当する人は、室内のpDCB濃度を低減する行動をとることが必要であると結論した。
本リスク評価の特徴について要点を以下にまとめた。
◆暴露濃度の分布
暴露濃度を、室内濃度と屋外濃度を室内と屋外の生活時間比率(9対1)で加重平均したもの、室内空気中濃度を、屋外濃度と室内発生源寄与濃度を足し合わせたもの、であると考えた(式1参照)。暴露濃度=0.9×室内発生源寄与濃度+1.0×屋外濃度
(式1)これは、トルエンの詳細リスク評価2)で用いられた枠組みと同じである。pDCBの場合は、室内発生源寄与濃度が屋外濃度より平均で10倍以上大きく、リスク評価結果を大きく左右するため、使用実態を正しく反映した室内発生源寄与濃度の分布を推定することが、確度の高い暴露評価には重要であると考えた。そのためpDCBでは、さらに以下の情報を考慮して室内発生源寄与濃度の分布を推定した:ア)pDCB製剤の使用がある家庭とない家庭があること(両者はほぼ1:1)、イ)一般家庭の家屋内では寝室が高濃度となること。具体的な推定手順を図1に示す。
図1.pDCBにおける室内発生源寄与濃度の分布の推定手順◆有害性評価
既存の有害性情報を精査した結果、国内における既存のリスク評価で用いられた参照値(たとえば室内濃度指針値)とは異なる値を用いることを提案した。pDCBの慢性暴露での毒性のエンドポイントは肝毒性であった。肝毒性は経口および吸入の両暴露経路によって実験動物に出現し、肝臓の逸脱酵素の増加と病理組織学的変化を伴う肝重量の増加がみられた。実験動物における慢性吸入暴露試験を詳細に検討した結果、参照値の根拠とする有害性データは、質が高く、適正に実施されたマウスにおける2年間試験の結果を用いることにした。この試験でみられたマウスの肝臓の非腫瘍性変化をエンドポイントとし、無毒性量(NOAEL)としては、試験結果としての75 ppmを1日24時間の連続暴露で等価な濃度に換算して80 mg/m3を導いた。参照値は、この濃度を不確実性係数100で除して得た800μg/m3とした。
既存のリスク評価において採り上げられたその他のエンドポイントについては次のような見解を示した。
ラットの雌の嗅上皮のエオジン好性変化は、中等度と重度の出現頻度の合計が増加したが、対照でも出現する変化である。また、鼻腔の化生は、嗅上皮のエオジン好性変化との関連性はないと判断されたため、明らかな毒性影響ではないと判断した。
pDCBの発がん性については、げっ歯類の発がん性試験においてラット雄(腎臓)およびマウス(肝臓)において発生頻度の増加が観察されたが、これらの結果をヒトに適用するのは不適切だと考えた。ラット雄にみられた腎腫瘍発生率増加は、α2μ-グロブリンの関連反応による特異的な現象で、ヒトに関連しない発がんとみなすことができる。マウスの肝腫瘍発生率増加の機序については、pDCBはマウスの肝細胞に細胞分裂を伴う細胞増殖を誘導するが、pDCBは非遺伝毒性物質と判断できるので閾値的な反応であると考えられた。試験で用いられたマウス(B6C3F1、BDF1)は肝細胞腺腫と癌腫の高自然発生系統であり、pDCBの肝臓での代謝には大きな種差があることなどから、マウスはヒトに比べて格段に高感受性の種であるといえる。結果として、マウスで観察された肝腫瘍の結果は、ヒトにおける肝腫瘍の発生の評価には適用できないとした。
◆リスク削減対策の提案
室内濃度が参照値800μg/m3を超える場合とはどのような使用条件の家庭なのかについて考察し、使用者が行えるリスク削減対策について提言した。ここでは、ワンボックスモデル(詳細リスク評価書第IV章参照)により、室内濃度を計算し、室内(自宅内)滞在時間を考慮した上で、その家屋に居住する人の暴露濃度が参照値800μg/m3を超える条件を考えた。このモデルでは、1世帯当たりのpDCB製剤の年間使用量(pDCBの放散速度は年間で一定と仮定する)、年平均換気回数、1世帯当たり家屋容積の3つの要素をパラメータとしているが、これらがどのような組み合わせのとき、参照値800μg/m3を超えるかを示したのが図2である。例えば、床面積70 m2のマンションで、300 Lの引き出し1本にメーカー推奨使用量のpDCB製防虫剤(672 g)を使用する場合、一年を通じた平均値で1時間当たり0.5回の換気が必要である。従って、図の曲線で分割された領域の下側に属する使用条件の場合、使用者は換気回数を増やし、リスクを削減することが求められる。
図2.pDCB製防虫剤(使用量はメーカー推奨量に従う)を使用する種々の衣装収納がある場合の、1部屋当たりもしくは1家屋当たりの容積と、主婦・幼児・老人等のような生活時間パターンを持つ人がその家屋に居住する場合、それらの人の暴露濃度が参照値800μg/m3を超えないために必要な換気回数との関係(この線より下に当てはまる場合、暴露濃度が800μg/m3を超えることを意味する)。床面積は天井高を2.5mと仮定して、家屋容積より計算した。
◆今後の課題
pDCBには、使用者個人がリスクとベネフィットの両方を被る物質である、という特徴がある。しかし、本評価ではこの点に関して、リスクとベネフィットを踏まえてどのように行動すべきかを定量的に示すところまでには至らず、試算の方法を付録に記すにとどまった。解析ができなかった理由は、虫害防止のメカニズムおよび衣装収納内におけるpDCBの挙動に関するデータが入手できなかったためである。これらの知見が蓄積すれば、より現実的な数値に基づくリスク―ベネフィットの解析が可能になると考える。参考文献〉
1) (独)新エネルギー・産業技術総合開発機構、(財)化学物質評価 研究機構、(独)製品評価技術基盤機構(2005).化学物質のリス ク評価及びリスク評価手法の開発プロジェクト、化学物質の初期 リスク評価書p-ジクロロベンゼン
2 )中西準子、岸本充生(2005).詳細リスク評価書シリーズ3トル エン、丸善
3)厚生省(1999).「居住環境内における揮発性有機化合物の全国実 態調査」より、生データを情報公開請求にて取得
*「詳細リスク評価書シリーズ7 p-ジクロロベンゼン」は、丸善株式会社から出版されています。また、概要版をCRMインターネットホームページで公開しています。http://unit.aist.go.jp/crm/
*詳細リスク評価書は、(独)新エネルギー・産業技術総合開発機構(NEDO)による受託研究「化学物質のリスク評価及びリスク評価手法の開発」の成果である。