分析化学者のリスク雑感

(独)国立環境研究所
参与

合志 陽一


私の専門は分析化学・計測化学であるので、分析の本質は何かについて研究上の思索を巡らせていたことがある。結論は、「物質系を理解するための成分・組成・構成(構造)に関する知識(情報)を扱うこと」(基礎)「物質系を制御し、またその挙動を予測するための成分・組成・構造あるいは特性に係る知識を扱うこと」(応用)であった(ぶんせき1987年 第11号p.772)。そして、物質系は、ある特性をもつ要素とそれがどのような形状・配置をとるかで記述され、それがさらに大きなレベルでの要素となるという階層構造をもつとした。

最近再浮上したアスベストの問題は、この視点でみるとき実に多くのことを示唆している。通常、化学物質は物性を含めて化合物としての特性で評価され、そのリスクも同様である。しかし、アスベストの場合は化合物としての性質だけでなく、その形状が重要な影響をもつ。当然ながら、容易に類推されることとしてナノ材料が検討すべき対象となる。ナノ材料の安全性の問題は、すでに各国で広い範囲で検討が始められているが、化合物(特性)としてだけでなく形状が重要な要素となる問題は今後増えるかもしれず関心をはらうべきであろう。ナノ粒子が微小なため血流などに直接に入り、生殖器や脳などに行く可能性の議論がある。さらに、アスベストの場合にすでに認められていることであるが細胞、特に移動性をもつもの(マクロファージなど)が関与すると予想外の挙動を示し、生体内で思わぬ場所への移動・沈着がおこる可能性がある。ナノ材料と生体の相互作用の検討は基礎研究の重要な課題でありナノ技術発展のために不可欠な前提であろう。 

リスクを巡るもうひとつのポイントは、生物の進化(の過程における経験)の視点であろう。進化の過程で経験していない物質は要注意である。当然のことであるが、これを新規物質ということでひとまとめにすると問題点がみえにくくなる。POPs(残留性有機汚染物質)は、自然界に多量には存在しなかったものが多く、用心すべきことは当然であるが、形状に起因する物質の挙動も同様であろう。

リスクの問題では社会的要素も重要である。BSEが、ニュースをにぎわせている。肉骨粉飼料の使用が問題の根元にあったとされる。牛の飼料として使用は禁止されたので解決しているという意見を聞く。しかし、これではリスクは管理できないであろう。特定の家畜用に認められていて肥育に効果があれば、それが他に使われる危険性は常に存在する。生鮮野菜の色を鮮やかにするために農薬が使われていたのは遠い昔ではない。用途を限定することは同時にそれ以外の使用は厳禁し、違反は厳罰に処するようにしなければほとんど意味を持たない。能率向上のため最低限の注意も失われ臨界事故さえ起ったことを忘れるべきではない。

更に考えるべき事として災害時や国家システムの崩壊などの事態がある。9/11テロでのタワー崩壊や阪神淡路大震災時のアスベスト飛散問題、ソ連邦解体前後の放射性物質の管理などは、あり得べからざると思っていたことが、現実には起こったのであり、そのような事態をどう考えるかも重要であろう。考えるべきことは多い。しかし、我々の知恵と努力に希望をつないでいきたいものである。正確な認識は、不安ではなく希望をもたらす。


化学物質リスク管理研究センター

独立行政法人 産業技術総合研究所