詳細リスク評価書:ビスフェノールA
宮本 健一


2005年11月30日に「詳細リスク評価書シリーズ6 ビスフェノールA」が丸善株式会社より出版されました。同時にその概要版をCRMのインターネットホームページで公開しています。本稿では、評価書を読む際あるいは、評価書で用いた方法を他へ応用する際の参考として、ビスフェノールAの環境問題の経緯や、リスク評価において取り組んだ課題、工夫した点など、概要版では省いた内容や出版された評価書でも記述していない点についてご紹介します。リスク評価の具体的な方法や結果については、概要版あるいは出版された評価書をご参照ください。



◆ビスフェノールAの用途

ビスフェノールA(以下、BPAと略す)は、主にポリカーボネート樹脂やエポキシ樹脂の原料として使用されている。ポリカーボネート樹脂は、プラスチックの中では特に高い耐衝撃性を有すること、高温・低温に強いこと、透明であることなどから、電子・電気機器、自動車部品、建築資材、OA・光学分野製品、日用雑貨品など幅広い分野で使用されている。エポキシ樹脂は、防食性、強度、接着性などに優れていることから、塗料、積層板、封止材、接着剤などとして使用されている。

◆BPAの環境問題−その発端

内分泌かく乱化学物質(いわゆる環境ホルモン)問題は、1990年代以降に最も注目された環境問題の1つである。この問題では、それまで詳細に検討されていなかったメカニズム、すなわち、汚染物質が生体の内分泌系に悪影響を及ぼすことによって、ヒトの内分泌系疾病の増加、生殖機能への悪影響、野生生物の生殖や発生への悪影響などが起こるかどうかが焦点となった。 環境ホルモン問題が大きな社会的関心を集めるきっかけの一つを作ったのは、1996年に出版されたColborn et al.1)のOur Stolen Future(邦訳 奪われし未来(1997年出版))と言えよう。BPAもその中で取り上げられた。

さらに、1998年に、vom Saal et al.2)が、従来の毒性試験で悪影響が観察されていた暴露量の千分の一以下でもマウスの雄生殖器の重量変化と精子生産量の変化が起こったと報告した。この報告が契機となり、いわゆる低用量作用の論争(すなわち、このような低用量で本当に何らかの悪影響が起こるのか否かに関する議論)が始まった。

◆BPAの有害性、リスクに関する検討の経緯

内分泌かく乱化学物質問題が広い関心を集め始めて以来、学会、行政機関、国際機関、産業界、一般市民団体において、様々な検討や議論がなされてきた。その中では、しばしば意見の対立が見られたが、専門家の見解は、行政/公的機関による報告書をまとめる際などに深く議論され、集約されてきた。BPAに関する行政/公的機関の公表文書は表1のとおりである。それぞれの内容の概略を以下にまとめた。

表1.BPAの有害性、リスクに関する行政/公的機関の公表文書

◆旧厚生省の検討会の中間報告書3)

1998年に公表された旧厚生省の内分泌かく乱化学物質の健康影響に関する検討会中間報告書では、BPAに関する有害性を概観した後、「現時点でのまとめ」として、以下のように記述している。 「これまでのところポリカーボネート樹脂から溶出するレベルのBPAがヒトの健康に重大な影響を与えるという科学的知見は得られておらず、現時点において使用禁止等の措置を講ずる必要はないものと考えられる。

ただし、内分泌かく乱化学物質の問題は、新たな課題であり、微量であっても作用を引き起こすという指摘、内分泌系のフィードバックシステムが確立している成人に対しては無毒性であっても、内分泌系が未発達の乳児には影響を与えるとの指摘があるため、引き続き、二世代繁殖試験などの調査研究を行っていくことが必要である。」

◆米国国家毒性計画の報告書4)

米国環境保護庁の要請に応じて、米国国家毒性計画(NTP: National Toxicology Program)は、内分泌かく乱化学物質の低用量作用と用量−反応関係について科学的な証拠を評価する専門家検討会を発足させ、2001年に検討結果を公表した。BPAに関して、総合的な結論として以下のように述べている。「低用量のBPAが特定のエンドポイントに影響を及ぼすとの確かな証拠がある。しかし、複数の試験研究機関が行った信頼できる別の試験において低用量作用が再現できなかったことと、それらの否定的な結果には一貫性がある事実を踏まえると、(BPAを集中的に討議する)分科会は、BPAの低用量作用が一般的な現象、あるいは再現性のある現象とは認めがたい。

さらに、低用量作用が観察された試験においては、作用機序は明らかになっておらず(すなわち、ホルモン作用が関係しているか否かが不明)、生物学的な意義も明確でない。」 上記のNTPの結論は、微妙な言い回しとなっているが、米国においては、低用量作用が問題になる以前に求められたRfD(参照用量、耐容一日摂取量に相当する値)の0.05mg/kg/dayを直ちに見直す必要はないと受け止められている。

◆厚生労働省の検討会の中間報告書追補5)

前述の旧厚生省の検討会が、中間報告書追補を2001年に発表した。低用量作用を「標準的な毒性試験において観察されてきた無作用量(NOEL)や無毒性量(NOAEL)よりも低い用量で観察されるホルモン様の影響」と定義して内分泌かく乱作用に関する実験報告について調査を行った。まとめとして以下のように記述している。 「現時点では、ヒトに対する内分泌かく乱作用が確認された事例はない。低用量のホルモン様作用の問題は、内分泌かく乱性を考察する上での中心的課題であるが、現時点で入手できる科学的知見からは、低用量域における内分泌かく乱作用を直ちに断定することには疑問がある。」

◆OECDのSIAP6)

経済協力開発機構(OECD)では、高生産量化学物質(1カ国での年間生産量が1000トン以上の化学物質)について、有害性の初期評価を行うために必要なデータである通称SIDS(Screening Information Data Set)を加盟国で分担して収集している。さらに、その評価結果をSIAP(SIDS Initial Assessment Profile(SIDS初期評価プロファイル))およびSIAR(SIDS Initial Assessment Report(SIDS初期評価レポート))として公表している。2002年のSIAPにおける勧告では、BPAは、さらなる作業を行う候補とされた。さらに必要な情報として、・巻貝への影響と魚の精子形成に対する影響が起こるレベル、・土壌生物に対する毒性データ、・水コンパートメントに対する暴露情報、・低用量のBPAによる哺乳類の生殖・発生毒性に関する不確実性の検討の4つが挙げられた。

◆旧欧州食品科学委員会による暫定TDI7)

欧州連合(EU)において食品添加物や汚染物質の毒性を評価し、許容一日摂取量(ADI)や耐容一日摂取量(TDI)の設定を行う旧欧州食品科学委員会(SCF:Scientific Committee on Food、現在は欧州食品安全機関(EFSA:European Food Safety Authority))は、2002年にBPAの暫定TDIとして、0.01mg/kg/dayを提案した。この値には、低用量作用に関して相反する結果が示されていることに対する不確実性係数として5が考慮されている。

さらに、哺乳瓶からの溶出量、缶詰食品やワインからのBPA摂取量は、暫定TDIを下回るとの推算結果を公表した。また、低用量作用に関する不確実性を解決するために、さらなる研究の必要性を具体的に指摘している。

◆経済産業省の審議会による有害性評価8)

経済産業省の化学物質審議会審査部会・管理部会内分泌かく乱作用検討小委員会が2002年に公表した有害性評価では、次のように述べている。 「NTP低用量作用パネルが示しているように、BPA の低用量作用は、現時点ではかなり限定的な実験条件下で観察される現象であり、普遍化した現象とは考えがたいことから、今後も学術的な観点から情報収集を行う必要があるものの、それ以外の特別な対応をとる必要はないと判断される。 

一方、BPAは、内分泌かく乱作用の有無に関わらず、生殖・発生毒性による影響がみられることから有害性評価や暴露評価を踏まえてリスク評価を実施し、適切なリスク管理のあり方について検討すべきと考える。」

◆EUによるリスク評価9)

EUは、主にEUSES (European Union System for the Evaluation of Substances)というモデルを用いてリスク評価を行い、2003年に結果を公表した。生態リスクについては、・感熱紙のリサイクル、・塩ビ樹脂の生産における反応停止剤としての使用、・塩ビ樹脂の加工のための添加剤の製造、・塩ビ樹脂加工用の可塑剤の製造時の酸化防止剤としての使用については、リスクを削減する必要があると結論付けた。また、さらなる情報が必要なものとして感熱紙と塩ビ樹脂の関連分野で削減が行われた場合の残存リスクなどを挙げた。ヒト健康リスクについては、発生毒性についてさらに情報が必要であると結論付けた。

◆環境省の環境リスク初期評価10)

2004年に環境省が行った環境リスク初期評価では、生態リスクについては、ハザード比が1を超えたので、「詳細な評価を行う候補と考えられる」と結論付けられた。ヒト健康リスクについては、暴露マージン(MOE)が十分に大きかったので、「現時点では作業は必要ないと考えられる」と結論付けられた。

◆環境省による内分泌かく乱作用の評価11)

005年に公表された「化学物質の内分泌かく乱作用に関する環境省の今後の対応方針について」の中で、魚類に対する影響は、メダカを用いた試験の結果、「・魚類の女性ホルモン受容体との結合性が弱いながらも認められ、・肝臓中ビテロジェニン(卵黄タンパク前駆体)濃度の上昇、・精巣卵の出現、・孵化日数の高値(遅延)が認められ、魚類に対して内分泌かく乱作用を有することが推察された。」と述べられている。一方、ヒトに対する影響は、「文献情報等により得られたヒト推定暴露量を考慮した用量(4用量群で実施)での明らかな内分泌かく乱作用は認められなかった。」と述べられている。

◆これまでに公表された見解のまとめ

以上のように、1998年以降、1999年と2000年を除いて、毎年、行政/公的機関による何らかの見解が公表されてきた。ヒトへの低用量作用については、明確な否定あるいは肯定はなされてはいないが、日本と米国は、学術的な研究以外の特別な対応の必要はないとしている。EUでは、追加の毒性試験が行われており、リスク削減対策の必要性については判断が保留されている。 生態リスクについては、EUでは一部の用途に対してリスク削減対策が必要であるとされ、環境省の環境リスク初期評価では、詳細な評価を行う候補と考えられるとされた。

◆BPAの使用量削減や代替化の動き

BPAは、環境ホルモン問題に対する社会的な不安を背景にして、上述の見解が公表され情報が共有される前に、代替化や使用量の削減などの自主的な取り組みが行われた。代替されたことが知られている用途は、産業界では感熱紙の顕色剤、塩ビ樹脂添加剤、ブレーキ液酸化防止剤、飲料缶の内面コーティングがあり12)、自治体では、学校給食のポリカーボネート樹脂製食器がある。 図1に旧文部省によるアンケート調査13),14)および独自のアンケート調査から推算したポリカーボネート樹脂製給食食器を代替した自治体数の推移を示す。

部分的な代替も含めて代替を実施した自治体数は、1999年に急激に増加して最高となり、その後は減少している。1999年は、旧環境庁が内分泌かく乱化学物質問題についての基本的考え方および今後の対応方針をとりまとめたSPEED’98を公表した翌年である。BPAを含むSPEED’98でリストアップされた物質は、内分泌かく乱作用について未解明の段階で自主的な代替化が行われたケースもあったが、それによってどの程度リスクが低下したか、また、その代替コストが他のリスク削減対策と比較して適切であるかどうかが議論されなかった。

なお、1997年には、33.5%の小中学校でポリカーボネート樹脂製給食食器を使用していたが、2003年の使用率は10.2%であった。


図1.給食食器をポリカーボネート樹脂製から他の材質へ切り替えた自治体数の推移

◆詳細リスク評価を開始する際に取り組んだ課題

RMがBPAの詳細リスク評価を開始したのは、2002年である。当時は、低用量作用についての議論は、NTPの報告書4)などにより有力な見解(すなわち、低用量作用は基準値の設定やリスク評価のエンドポイントとしては適切ではない)は固まりつつあった。しかし、新たな事実の発見により、再検討を迫られる可能性を完全に否定することはできない。したがって、ヒトの暴露量は高い精度と確度を保って評価する必要があった(結果的には、NTPの報告書4)の見解を覆す新事実は発表されていないと判断した)。 一方、生態リスク評価に関しては、課題が多かった。

生態リスクは、まず、「守りたいもの」を明確にしなければ実用的な評価ができない。その作業は問題設定の中で行うが、我が国においては生態リスク評価の歴史が浅く、参考となる先例がなかった。さらには、生態リスク評価の研究分野が発展の途上にあり、従来の評価方法の問題点も明確にされつつあった。したがって、従来の評価方法の問題点を克服した新たな評価手法の開発から始める必要があった。

◆工夫した点(1) − 不確実性の考慮

一般的に、不確実性は、(i)本質的に分布を持つ値であるために生じる不確実性(変動性と呼ばれることもある)と、(ii)知識が不完全であることに起因する不確実性の2つに分類できる15)。例えば、ヒトの暴露評価における大気、飲料水、食事の各媒体中の濃度変動は、(i)の不確実性に該当する。一方、把握できていない暴露経路が存在する可能性があることは、(ii)の不確実性に該当する。事前の重要課題として考えられたヒトの暴露評価と生態リスク評価については、以下に述べるように、これらの不確実性を明示的に扱う必要があると考えた。

◆工夫した点(2) − ヒトの暴露評価

まず、(ii)の不確実性に対処するために、原理の異なる二つの方法を用いて一日摂取量を推算する方針を立てた。二つの方法とは、大気、飲料水、食事(食器、缶詰食品)、おもちゃについて、それぞれからのBPA摂取量を積算する方法と、尿中への排泄量の実測値から体内動態を考慮して摂取量を逆算する方法である。すなわち、体内に摂取するBPA量と排泄するBPA量を異なるデータに基づいて推算し、比較することで、(ii)の不確実性を検証できると考えた。

また、(i)の不確実性に対処するために、各媒体中のBPA濃度、BPAの溶出速度、尿中排泄量など、一日摂取量の推算に必要な主要なパラメータに対して実測値に基づく確率分布を適用し、モンテカルロシミュレーションを用いて暴露量の分布を評価した。

◆工夫した点(3) − 生態リスク評価

生態リスク評価では、この分野で先進の米国環境保護庁のガイドライン16)に準拠した評価を試みた。実際に守りたい環境の重要な性質である評価エンドポイントは、図2に示す3つを設定した。評価エンドポイントの設定では、日本では参考例がないので、米国の先進事例を参考にしつつ、独自に魚類個体群の存続可能性を直接判断できる指標(個体群の増加率)も取り入れた。

個体群の増加率については、その値を推算する方法の開発から行った。また、従来の初期リスク評価で用いられている評価エンドポイントも考慮した。 3つの評価エンドポイントを設定したのは、異なる視点から生態リスクを評価することにより、(ii)の不確実性に対処するためである。また、内分泌かく乱作用の取り扱い方に関して論理を構築することも試みた。


図2.BPAの生体リスク評価の枠組み

◆おわりに

BPAの詳細リスク評価書をまとめるにあたり、読者が計算を再現できるように必要な情報や用いた仮定をすべて分かりやすく明示すること、他の問題へ応用しやすいように用いた手法の理論的背景を十分に説明することを心掛けた。BPAのリスク、あるいは、BPAに限らずリスク評価方法に関心のある方に是非とも手にとって頂きたいと思う。

 
参考文献〉
1) Colborn T, et al. (1996). Our stolen future. Dutton Publishing.
2 )vom Saal FS, et al.(1998). Toxicology and Industrial Health 14:239-260.
3) 厚生省(1998). 内分泌かく乱化学物質の健康影響に関する 検討会中間報告書. 
4) NTP (2001). National Toxicology Program’s Report of the Endocrine Disruptors Low-Dose Peer Review. 
5) 厚生労働省(2001). 内分泌かく乱化学物質の健康影響に関 する検討会中間報告書追補.
6) OECD (2002). SIDS Initial Assessment Profile, Bisphenol-A.
7) Scientific committee on food (2002). Opinion of the scientific committee on food on bisphenol A. 
8) 経済産業省(2002). ビスフェノールAの有害性評価、化学物質 審議会管理部会・審査部会内分泌かく乱作用検討小委員会.
9) European Commission (2003). European Union risk assessment report, 4,4’-isopropylidenediphenol (bisphenol-A). EUR 20843 EN.
10) 環境省(2004). 化学物質の環境リスク評価 第3巻 ビスフェノールA.
11) 環境省 (2005). 化学物質の内分泌かく乱作用に関する環境省の今後の対応方針について−ExTEND 2005−. 
12) 独立行政法人製品評価技術基盤機構 ビスフェノールA リスク評価管理研究会(2003).ビスフェノールAリスク評価管理研究会 中間報告書.
13) 文部省(1998). 学校給食におけるポリカーボネート製食器の使用状況について.
14) 文部省(1999). 学校給食におけるポリカーボネート製食器の使用状況について.
15) National Council on Radiation Protection and Measurements(1996). A guide for uncertainty analysis in dose and risk assessments related to environmental contamination. NCRP  Commentaries No.14.
16) US EPA (1998) Guidelines for Ecological Risk Assessment. EPA/630/R-95/002F.


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