− 詳細リスク評価書 短鎖塩素化パラフィン −
恒見 清孝



◆本リスク評価書の特徴

短鎖塩素化パラフィンは難燃性、可塑性、金属加工の潤滑性、疎水性などを有することから、様々な用途に使用されている難分解性で高濃縮性の物質である。欧州や米国では使用規制や事業所への排出移動量報告の義務づけが行われてきたが、国内ではこれまで規制はなく、PRTRの指定化学物質リストにも登録されていない。しかし、2003年の化審法改正に伴い、短鎖塩素化パラフィンは2005年2月に第1種監視化学物質に指定された。

したがって、この物質は今後着目すべき物質の一つであり、詳細リスク評価を行うことの意義は大きい。暴露評価、有害性評価、リスク判定、リスクマネジメントの構成からなる本リスク評価書をこの度公開することは時宜に適ったものである。しかし、短鎖塩素化パラフィンに関する生産量、排出量や環境中濃度に関する情報は極めて少なく、排出量の大きい事業所を特定することも、環境中濃度の高い地点を特定することもできない状況であった。

そこで、モデル推論の手法を援用して空間スケール毎に暴露状況を概観的に把握し、使用量の多い地域や事業所周辺の局所において、リスクを懸念する必要があるのかどうかについて検討した。

ライフサイクルに沿った生産・製造量と排出量の推定

上記に示したように、短鎖塩素化パラフィンに関する情報は国内にはほとんどなく、暴露評価の際には以下のような様々な推論を用いた。まず、業界へのヒアリング調査をもとに、短鎖塩素化パラフィンの2001年度の物質フローを推定した。ただし、短鎖塩素化パラフィンは多岐に亘る用途があり、用途別の使用量を具体的に把握することができなかった。

そこで、金属加工油剤の添加剤の用途として約240 t/年、難燃剤、可塑剤などのその他の用途として約262 t/年と大きく二分して推定した。次に、欧州連合(EU)のリスク評価書ガイドラインなどの排出係数、米国環境保護庁のToxic Release Inventory (TRI)の排出量データなどを参考にして、各ライフステージからの排出量を推定した。その結果、金属加工油剤の使用段階からの大気、水系への排出が19.2 t/年、12.0 t/年ともっとも大きく、主要な発生源と想定された。

また、短鎖塩素化パラフィンを含有する製品の使用段階からの水系への排出量が4.3 t/年と次に大きい状況であったが、多数分散型の発生源のため局所に与える影響は少なく、全国あるいは関東地域を空間範囲としたリスク評価で影響の大きさを検討すればよいと判断した。

◆多媒体モデルを援用した暴露評価

推定した排出量をもとに、EUのリスク評価システム、European Union System for the Evaluation of Substances(EUSES)を使用して、日本国内、関東地域、局所の3つの空間スケールでの環境中濃度と食品中濃度を推定した。その結果、金属加工油剤を使用する事業所からの排水が下水処理場経由で周辺河川に放流された後の、河川の水中濃度および底質中濃度に着目する必要性が明らかになった。一方、短鎖塩素化パラフィンに関するモニタリングデータは国内に存在しなかった。

そこで、モデル推定値との比較検証のために、短鎖塩素化パラフィンを含む金属加工油剤を多く使用する関東地域を中心に環境中濃度と食品中濃度の実測を行った。そして、実測値からモデルの妥当性を検証した上で、地域の環境中濃度については実測値をリスク判定に使用し、局所の環境中濃度については実測値がないためモデル推定値を使用した(表1参照)。また、実測した食品中濃度からヒト1日摂取量を求めた(表2参照)。

◆種の感受性分布を用いた生態毒性のスクリーニングレベル導出 

一般的に、最も感受性の高い生物種の無影響濃度(NOEC)を生態リスク評価に使用するが、この方法は生物種の個体レベルでの評価であり、多くの場合は安全側に過大に偏る懸念がある。一方、化学物質などのストレス要因に対する生物種の感受性の違いを統計学的に表現したものが種の感受性分布である。

この方法は、感受性の異なる複数の種の毒性データを扱うことで、個体群のスクリーニング評価に有効であり、また、ある割合以上の種を守るための水質の基準を設けることができることから、結果を政策の意思決定に反映させることが可能である。

そこで、短鎖塩素化パラフィンに関する複数の生物種のNOECをもとに、種の感受性分布からスクリーニングレベルとして水生生物種の5%が影響を受ける濃度(HC5)を導出した。また、平衡分配法を用いて底生生物と土壌生息動物のHC5を導出した(表1参照)。

◆ヒト健康毒性のエンドポイントの選択

既存の評価書では、肝臓、甲状腺や腎臓に対する毒性がエンドポイントとして採用されていたが、肝臓および甲状腺への影響については、げっ歯類に特有でヒト健康には影響がないとしたEUリスク評価書と同じ立場をとった。一方、腎臓に対する毒性については、雄ラット特有のα2uグロブリンの存在が確認できていないことを理由に、EUリスク評価書は腎臓影響をエンドポイントとして採用している。

しかし、雌ラットには発現しておらず、雄ラットに限られた変化であることを理由に、腎臓影響が雄ラット特有のα2uグロブリン腎症と判断することは妥当であると解釈し、ヒト健康影響にはあてはまらないと本評価書では判断した。よって、雌ラットの尿細管色素沈着をエンドポイントとする無毒性量(NOAEL)として100 mg/kg/日を導出した。また、生殖毒性に関して、ラットにおける発生影響のNOAELとして500 mg/kg/日を導出した(表2参照)。

◆生態リスクとヒト健康リスクの判定

生態リスク評価については、暴露評価で求めた環境中濃度の実測値またはモデル推定値をHC5と比較して生態リスクの判定を行った。その結果、表1に示すように、ライフサイクルのすべての段階で環境中濃度がHC5より小さく、生態リスクを懸念する必要性は低いと判断した。

一方、ヒト健康リスク評価については、ヒト1日摂取量とNOAELから暴露マージン(MOE)を算出し、不確実性係数を考慮した結果、表2に示すようにMOEは十分に大きく、環境中からの暴露によるヒト健康リスクを懸念する必要はないことが明らかとなった。

表1 生態リスクのスクリーニング評価

1)関東地域の水質と底質のデータは実測値の95パーセンタイル、関東地域の土壌データと局所のすべてのデータは
  モデル推定値、(  )の 数値は不確実性のある短鎖塩素化パラフィンの使用量を中央値の2分の1から2倍までの
幅をもたせた場合の濃度範囲                                                

表2 ヒト健康に関するリスク判定


◆リスク削減対策と経済評価

今後、主要発生源である金属加工事業所の水系への暴露状況を監視していく必要があることから、企業の自主管理の段階的な手順を提案した。その上で、事業所の油剤代替に伴う費用とPRTRへの登録による費用の分析を行った。その結果、周辺河川濃度がHC5を超過する可能性がある短鎖塩素化パラフィンの使用量10 t/年の事業所を対象に、中鎖塩素化パラフィンへの代替に4.8〜8.7百万円/年、非塩素系への代替に8.7〜12.6百万円/年の追加費用がかかると推定した。

特に難加工工程をもつ事業所は費用大のため物質代替が困難な状況であり、まず排出削減を図ることが実現可能な方策であることを示した。また、PRTRへの登録により行政に3.4百万円/年の追加費用が見込まれたが、企業や行政のリスクマネジメントの進展が期待されることから効果は大きい。しかし、短鎖塩素化パラフィンが第1種監視化学物質に指定された現在、その費用対効果は低く見積もられるため、PRTRリストに短鎖塩素化パラフィンを登録することの是非は今後検討すべき課題である。

◆今後への期待 

短鎖塩素化パラフィンが化審法の第1種監視化学物質に指定されたことから、行政にとっては新たに得られる短鎖塩素化パラフィンの生産・使用実績データを本評価書の暴露評価のフレームに適用することにより、具体的な暴露解析を実施することができる。そして、リスクが懸念される地域や局所を特定して、地域によって重要な生物種の保全も考慮した、より詳細なリスク評価が期待される。

さらに、短鎖塩素化パラフィンのようにデータが少なく、暴露状況の全体像を把握することが困難な物質については、モデル推論を援用してリスク評価を実施し、リスクマネジメントの方針を示すといった本評価書のような手順が有効である。そして、この手順はリスクの事前対応にも適用することが可能であり、さらに情報の少ない物質を対象としたリスク評価への展開を図ることが今後期待される。

*短鎖塩素化パラフィンの詳細リスク評価書は、「詳細リスク評価書シリーズ5」として丸善株式会社より、9月30日に出版されました。出版と同時 に、概要版をCRMインターネットホームページで公開しています。

*詳細リスク評価書は、(独)新エネルギー・産業技術開発機構(NEDO)からの受託研究によるものです。


化学物質リスク管理研究センター

独立行政法人 産業業技術総合研究所