リスク評価の「読み書き・そろばん」
−リスク評価支援ツールの活用−


化学物質管理において、行政、事業者、そして市民がリスクとベネフィットの解析に基づいて意思決定を行うとともにその過程や結果を広く公表し、コンセンサスを得るためには、リスク評価の専門家だけではなく、化学物質のリスク管理に関わる幅広い人々が利用することのできる共通の「読み書き・そろばん」となるリスク評価支援ツールが必要です。

CRMではこれまでに、AIST-ADMERを初めとする環境濃度予測モデルや、Risk Learningといったリスク評価支援ツールの開発に力を尽くしてきています。CRMの開発したツールを実際に活用している事例として千葉県が実施している有害大気汚染物質の環境リスク評価事業、そしてツールの普及を目指すCRMの試みとして大阪大学での講義についてご紹介致します。



1.環境リスク評価事業における濃度予測モデルの適用
千葉県環境生活部環境政策課環境影響評価・指導室 副主幹 石崎勝己氏に聞く

(聞き手:イカルス・ジャパン 武居綾子)

有害大気汚染物質環境リスク評価事業

まず、千葉県で実施している有害大気汚染物質の環境リスク評価事業についてご紹介をお願いします。

現在、千葉県では、平成16〜18年の3カ年計画で化学物質総合対策事業を実施しています。

千葉県化学物質総合対策事業

@ 化学物質対策総合検討調査
  ・ 包括的化学物質対策検討調査
  ・ 有害大気汚染物質環境リスク評価事業

A 化学物質情報提供事業(ホームページでの情報公開)
  ・ 千葉県化学物質排出量(PRTRデータ)検索システムの構築
  ・ 千葉県版PRTRデータ県民ガイドブックの作成
  ・ PRTRデータ集計結果報告書の作成

B 化学物質環境実態調査
  ・ 環境ホルモン(内分泌攪乱化学物質)実態調査等

事業体系は、大きく三つに分かれており、有害大気汚染物質環境リスク評価事業は、包括的化学物質対策検討調査とともに化学物質対策総合検討調査の中に位置付けられています。包括的化学物質対策検討調査は化学物質対策の体系を見直し、全体像をもう1回再構築することを目指しています。その発端としては、PRTR制度の導入や化審法の改正によって人の健康の保護に加え、生態系への影響の観点からも環境保全対策の必要性が高まったこと、また、最近は子供等の脆弱者への配慮も叫ばれ、化学物質対策を取り巻く状況が変化しているといったことがあります。

これまで千葉県も様々な取り組みをしてきましたが、再度、県の役割を明確化し、化学物質対策を考えていくために、全体像やあり方を検討する調査を進めています。一方、有害大気汚染物質環境リスク評価事業については、これはまさにPRTRデータが開示されたことと、後でご説明しますが、特に千葉県の特徴を加味して地域に応じた対応が必要だろうということで開始された事業です。 

もう一つの柱として、リスクコミュニケーションの関係で化学物質情報提供事業を実施しています。これは今後リスクコミュニケーションを推進するにあたって、基礎となるデータをよりわかりやすく提供する必要があると考え、自治体として千葉県のPRTRデータを県民の皆様が自分のニーズに応じて集計結果を得られるような検索システムを16年度に構築しました。もうしばらくしますと、このシステムが公開される予定になっています。

さらにPRTRデータを読みくだくためのガイドブック、国でも環境省が作成していますが、これの千葉県版のようなイメージのものを作成、また、PRTRデータを詳細に集計し、解析した集計結果報告書を別途作成し、この3本立てをホームページ上で公開します。さらに化学物質環境実態調査として、内分泌攪乱化学物質の実態調査を実施し、大きくこういった三つの柱で事業展開を進めており、その中の一つとして、有害大気汚染物質の環境リスク評価事業があります。

この事業の背景ですが、まず一つはPRTR制度によって環境中への排出量データが明らかになった、整備されたということです。さらに毒性評価についても、国の調査に基づく情報が順次公表されてきている。加えて、リスク評価を実施するためのツール、AIST-ADMERとかMETI-LIS、こういったツールも提供されています。一般環境を対象としたリスク評価は、例えば環境省では初期環境リスク評価、また、経済産業省関係では独立行政法人製品評価基盤機構(NITE)が初期リスク評価書の公表を最近開始しています。

しかし、これらはあくまでも一般環境の評価としてこの程度ですという目安ですから、その先に県の役割として、公表されている情報やツールを活用して地域の特性や実情に応じた対応が求められます。また、今後の化学物質対策はそういったリスク評価の結果に基づくマネジメントが必要になってくるといった背景があります。さらに、千葉県の特徴として、東京湾の臨海部には石油コンビナートがあり、化学工業中心に、特に有害大気汚染物質の大量排出事業所が集中しています。

PRTRデータを眺めた中で千葉県としては、特に有害大気汚染物質についての環境リスク評価を実施する優先度が非常に高いのではないかということがこの事業を開始するきっかけになりました。この事業の目的ですが、繰り返しになりますが、東京湾の臨海部に発生源が集中していることから、単純に一つの事業所の影響だけではなく複数の事業所の広域的な影響が懸念され、県として広域の環境リスク評価を実施するという目的がありました。

その対象は、基本的には今後の排出事業者対策を念頭、主眼において調査を実施しますので、調査結果は場合によっては今後の事業者指導、自主管理のさらなる推進とか促進といったものに結びつけていこうと考えています。もう一つの目的として、県独自のリスク評価体制の整備があります。現在、この事業は県の環境研究センターが中心となって実施していますが、このセンターがリスク評価の手法を確立し、評価ツールを適用したリスク評価体制を整備できれば、毎年更新されるPRTRデータを利用した継続的なリスク評価が実現できます。

さらに、今後の削減対策を見込んで、どの程度効果があるかといったシミュレーションもこうした体制で実施していければと思っています。調査対象物質ですが、これは千葉県のPRTRデータをもとにした排出量と毒性評価の値がありますので、これらを考慮して優先取組物質として1,3-ブタジエンをはじめとする15物質を選びました。調査方法は、AIST-ADMERを用いた千葉県全域を対象にした概観調査とMETI-LISを用いた精密調査の二つに大きく分けられます。

つまり概観調査で見て、その中で特に濃度が高い地域が出てくる、それが千葉、市原、袖ヶ浦のコンビナート地帯、中心は市原市ですが、その地域についてはさらにMETI-LISを用いた詳細調査をやっていこうとするものです。詳細調査、精密調査と言っていますが、一つには現況濃度の予測と、プラスアルファ施策将来ということで、ある程度の削減効果を見込んだシミュレーションを実施する計画です。

また、この調査の実施に当たっては、先ほどご紹介した包括的化学物質対策検討調査、今後のあり方を検討する調査の中に専門家の検討委員会を設けており、この検討委員会にリスク評価事業の内容も諮問し、ご意見を伺いながら進めています。この検討委員会にCRMの東野先生に参加していただき、リスク評価のノウハウをお聞きしながらこの調査を進めています。

*リスク評価事業対象15物質:1,3-ブタジエン、1,2−ジクロロエタン、クロロホルム、ベンゼン、アクリロニトリル、酸化プロピレン、キシレン、塩化ビニル、塩化メチレン、酢酸ビニル、ホルムアルデヒド、トルエン、スチレン、エチルベンゼン、エチレンオキシド

千葉県化学物質排出量等(PRTRデータ)検索システムのイメージ

千葉県PRTRデータ検索サイト http://wwwp.pref.chiba.jp/pbprtr/

 

AIST-ADMER、METI-LIS導入の経緯

当初よりAIST-ADMERとMETI-LISを適用する計画でこの事業は開始されていますが、それまで、環境中濃度のモニタリングは千葉県でも実施していたのでしょうか。

有害大気汚染物質のモニタリングは常時監視の中に位置付けられていますので、実施しています。ただし県内全域の限られた地点です。それ以外に、市原市のコンビナート施設のすぐわきに位置する環境研究センターでは、研究目的ですが揮発性の有害大気汚染物質について連続測定を行っています。連続測定というのは1時間おきにサンプリングし、分析を行い、少し抜けている期間はありますが年間3000時間程度のデータが蓄積されています。このモニタリングの結果と今回のAIST-ADMER等の予測結果を比較しながら事業を進めています。

 

環境濃度予測モデルの利用は、モニタリングを実施しても現実にはかなり限界がある、その辺がきっかけになっているのでしょうか。

そうですね。予測モデルの利用には、モニタリングデータを補完するという意味合いがあると思います。その他に、物質ごと眺めたときに全県で一様に全部の物質を、モニタリングする必要があるのかという疑問に答えるということもあります。例えば、実施していない物質について判断が必要になったときにモデルを使ってある程度予測をし、予測データによるリスク評価をして、十分安全側に傾いているということであれば、モニタリングをする必要性も薄れていきます。また逆のケースもあるかもしれない。あるいは発生源近傍だと、モニタリング地点が足りない、こういった場所でもやったほうがいいというところも見えてくる可能性があります。予測モデルを使うことにはそういった意義もあると思います。

 

事業への導入の経緯を、もう少し詳しくご説明いただけますか。

今後の化学物質管理では、地域の特性に応じたリスク評価をして、必要な対策を講じていく必要がありますが、具体的にどうやってリスク評価をしようかと考えたときに、これまでのように県が独自にモデルを開発して評価するという選択肢が一つありました。しかし、最終的にはリスクコミュニケーションに結びつける必要があり、そのためには当然モデルの検証、モデル自体の公開、さらにモデルの更新を県独自で実施しなければなりません。一方、先ほど背景として説明したように、一般に公開されていてだれでも利用できる評価ツールがあり、さらにAIST-ADMER、METI-LISはその信頼性に関してそれぞれ一定の評価が実施されていました。今後実際に活用していく中でバージョンアップも当然期待できる。また、だれもが使えることから、県がやったらこういうデータです、場合によっては事業者が自らやったらこうですと、同じ土俵に立って評価を検討できることが非常に重要なのかなということもあり、公開されているAIST-ADMER、METI-LISを利用することになりました。

 

濃度予測モデル適用の課題とCRMへの要望

実際に濃度予測モデルを使用されて、いかがでしょうか。

特にMETI-LISですがこれまでに3物質やってみて、モニタリングデータと比較するとなかなか結果が合わない部分があり、これをどう考えるのかなというのが今一番苦慮しているところです。その他、実際にモデルを回すまでの幾つか問題点というか苦労した点がありました。一つはAIST-ADMERですが、AIST-ADMERは広域モデルがゆえに、データとして千葉県に限らずある程度広域のデータが必要となり、今回東京、神奈川、埼玉、茨城の範囲までのデータを入手しましたが、その入手としていってもなかなか単純にはできません。AIST-ADMERへの入力にはメッシュデータが必要になります。

メッシュデータにはPRTR届け出外のデータを細分化したデータが必要になり、その入手の問題が今後もやるたびにつきまとっていきます。(社)環境情報科学センター(CEIS)では1キロメッシュのデータ、NITEでは5キロメッシュのデータを持っています。今回はメッシュデータについてはCEISから入手して利用していますが、データの切り方、細分化とか、そういう方法の詳細に違いがあることが考えられ、その違いが予測結果にどう関わるかの検討も必要です。 さらにはバックグラウンド濃度の設定の問題があります。今回の事業で設定したバックグラウンド濃度は二つあります。

広域モデルとしてのAIST-ADMERを動かす際のバックグラウンド濃度が一つ、もう一つはMETI-LISを動かすときのバックグラウンド濃度です。後者については、手法としてCRMの1,3-ブタジエンの詳細リスク評価のやり方をベースにして、詳細調査でMETI-LISを動かすエリアについてはその発生源を取り除いてAIST-ADMERを回してバックグラウンド濃度にしましたが、そのバックグラウンド濃度が妥当かどうかという問題があります。物質によってはバックグラウンド濃度をもう少し予測結果に上乗せすると、意外にいい結果になりそうだというものがあったりもします。 

もう一つの課題はMETI-LISに入力する建物データの入手です。今回は事業者対象のアンケート調査を実施しましたが、事業者に負担がかかる話なのでこれも入手に苦労しました。METI-LISはある一つの排出事業所に対する特定のエリアを対象にして予測することを想定していますが、今回千葉県の場合は広域影響を見たいということで相当に広い範囲をMETI-LISで入れていますから、建物情報にしても相当な数になり、余計苦労しているところはあります。


AIST-ADMERが想定している広域とMETI-LISが想定している発生源近傍と、その中間に当たるような範囲も予測ができないと千葉県の実情には合わないということでしょうか。

そうですね、その辺りは今後の要望というところです。ある程度の広いエリア、広いといっても数十キロ四方ぐらいを考えたときに、建物情報を一体どこまで入れないと評価できないのかなという疑問があります。その辺もう少しある程度広域といいますか中域といいますか、その辺のエリアを予測するときに何かいい方法がないのかなと。例えばMETI-LISに、発生源の情報は入れるけれども、建物情報を無視してもある程度こういう利用の方法がありますよとか。何かそういう活用の方法があると助かります。



濃度予測モデルの利用について検討委員会の専門家の先生のご意見はいかがでしょうか。

最終的な結果はまだ取りまとめ中なのでこの後の検討委員会にかけることになりますが、途中段階で何のためにやるのですかというようなご指摘がありました。それについては、先ほどもお話ししましたが、要するにモニタリングに限界があり、そういったものを見直す、あるいは補完する意味でこういったモデルを利用する利点がありますという説明をしています。 さらに質問が出たのは、従来のこういった予測は古いデータに基づいていて、得られた結果はその時点の予測で決してリアルタイムではない、その点をどう考えるのかという話もありました。確かにそういう問題を抱えています。

ただし、今回予測モデルを活用するノウハウを蓄積し、なおかつPRTRデータが1年遅れではありますが入手できすぐに活用できると少なからず穴を埋められるという期待があります。もう一つ大きいのは、事業者対策を考えたときに施策将来を見込んで、その数字を入れた効果をある程度予測できるのが非常に大きい利点なのかと思います。さらに特に発生源近傍がどのエリア、どの範囲まで影響を及ぼしているかの概略を把握することができるので、多量排出事業者の存在が一般環境まで影響を及ぼしているかどうかをモデル予測によってある程度推測することができます。 

今回やってみて、現実的に確かに発生源近傍は高濃度ですが、ある程度距離を置くと極端に濃度が下がりますので、特に工業専用地域のようなところで、一般住居とある程度エリアが離れる、千葉の場合コンビナート地帯は分離されていますので、こういったところでは、一般環境では濃度は大分下がっているなというのが実感です。 ただし、モニタリングデータとの乖離をどう考えるか、これは如何ともしがたい部分がありますね。



オーダーでいうと、かなりの差になりますか。

オーダーが変わることはありませんが、どうでしょう、例えば傾きが1であればいいけれども1.5とか。実は、逆もあります。今回傾向を見ましたが、必ずしも予測結果のほうが高くて、実測値より安全側になる訳ではない。物質によっては予測結果がモニタリングデータに比べて低いケースもあって、この辺をどのように考えていったらいいのかなというところも、今後検討して欲しいところです。要因として、モデル自身の問題ではなく、別の発生源の関与といった、いろいろな可能性が考えられます。ただ、固定発生源しかないような物質でもそういった傾向があるので、検討が必要です。



他には何か、さらに改良を望む点はございますか。

モニタリングデータと予測結果を変な話、フィッティングさせるといいますか、そうしたときに何がきいてくるのだろうというところがあって、細かな話になってしまいますが、例えば道路の線源の入れ方とか、そういった細かなところでもう少しパラメータといいますか、工夫があってもいいのかなという希望はあります。

 

総合的なリスク評価を目指して

今後千葉県の事業を推進する上で、環境濃度予測モデル以外にCRMに期待することはありますか。

現在進めている有害大気汚染物質環境リスク評価事業の中で、リスク評価をどうするかという点がまだ固まっていません。県がどこまでできるかという話が一つあって、例えばCRMのように毒性評価から全部やるのは非常に困難ですし、毒性評価は基本的にはそれぞれがやってもあまり意味がなくて、どこかでしっかりやっていただければいいということがあります。今回、千葉県では15物質のリスク評価を進めていますが、必ずしも毒性評価のデータが出そろっているわけではなく、この辺も一つ苦労しそうなところです。

ぜひともそういったところでもCRMなり、これは別にCRMでなくても環境省でもいいのですが、毒性評価は国の役割と考えている部分ですので、そこでオーソライズしていただけると非常にありがたいです。 特に発がん性などは、データがない中で無理やり評価しているところがあります。既存のデータベースから発がん性のユニットリスクを引用してリスク評価を実施する、そうすると意外にその影響が大きいという結論になることもあります。それをどう考えるのか。基本的な考え方ですね。その辺をぜひともあわせてお願いしたいと思います。 

あと暴露経路の考え方ですね。今回はとにかく有害大気汚染物質のリスクが一番高いということで大気からの吸入影響だけを取り上げて評価していますが、当然ある物質を考えれば暴露経路全体を見る必要があります。今回はあくまで一般大気中の濃度を予測して、それがどうかという評価だけをしています。大気以外の室内とかそういったそれぞれ暴露経路まで全部見ているわけではないので、リスク評価といってもある一端しかやっていません。

全体を評価できる枠組みがあるといいと思います。暴露経路もある程度の基礎情報があるとそれだけでも随分違います。初期環境調査のように、この物質については一般大気からの影響はこの程度、室内からはこの程度、飲料水からこの程度、食物からこの程度、ある程度の配分をしてくれるだけでも随分助かります。できたら濃度予測モデルだけではなくてトータルとしてのリスク評価の方法といった情報を提供していただけるといいなと思います。

CRMでは、環境暴露評価の経験が一番蓄積されているので、環境濃度予測モデルの公開が先行していますが、並行して毒性評価や総合的なリスク評価手法の開発を進めています。化学物質管理の実務に適用できる評価ツールの開発、普及をこれからも推進していく計画ですので、今後ともCRMの活動に期待していただければと思います。ありがとうございました。


*この記事は、千葉県環境生活部環境政策課環境影響評価・指導室、副主幹石崎勝己氏とのインタビューを再構成してまとめました。インタビューにご協力いただきました千葉県環境生活部ならびに石崎様に改めて厚くお礼申し上げます。尚、記事の中でご紹介している千葉県のPRTR検索サイトは既に公開されています。


化学物質リスク管理研究センター

独立行政法人 産業業技術総合研究所