− 詳細リスク評価書 ジクロロメタン(塩化メチレン) −
井上 和也


ジクロロメタンの詳細リスク評価書が「詳細リスク評価書シリーズ 4」として丸善株式会社から7月29日に出版される。本評価書は、大気圏環境評価チームの吉門、環境暴露モデリングチームの東野・井上、水圏環境評価チームの岩田、健康リスク評価チームの納屋(いずれも現所属)を中心とするメンバーによる約3年間にわたる解析の成果である。本稿では、この評価書の文責を負う井上がその特色・内容について簡単に紹介する。

◆ジクロロメタンとは 

ジクロロメタン(塩化メチレン)は、化学的に安定である、不燃性である、すぐれた脱脂・抽出能力がある等の理由で、洗浄剤、溶媒をはじめとする様々な用途で各産業界において用いられている常温で無色透明の液体である。このように、ジクロロメタンは有用な物質として広く用いられているために、また、揮発性が高いために環境(大気)への排出量が多く、加えて、ヒトへの有害性を示す知見も得られていることから、ジクロロメタンの暴露によるヒト健康への影響が懸念されている。そのため、近年、事業者団体による有害大気汚染物質に関する自主管理計画により様々な排出削減対策が採られてきた。

◆本リスク評価書の目的 

このような現状であるにもかかわらず、現時点においても、ジクロロメタン暴露による日本人の健康リスクについて、まとまった知見があるとはいえない。

そこで、本評価書では、暴露評価、ヒト健康に対する有害性評価を包括的に行い、ジクロロメタン暴露による日本人の健康リスクの現状を詳細に把握すること、また、排出量削減の費用効果分析を行い、今後も事業所における排出削減対策を続けていくべきか否かの判断材料を提供することを主な目的とした。

◆本リスク評価書のフローと特色

図1に本リスク評価書のフローを示す。結果は後に少しだけ触れることにし、ここでは、本評価書の特色をあげる。


図1 ジクロロメタンリスク評価書のフロー

◆大気拡散モデルを用いた詳細な暴露・リスク評価 

これまでのリスク評価では、限られた空間密度で存在する測定局の実測最高値や平均値を用いるなどして、リスクが判定されるのが一般的であった。この評価法では、測定局の存在しない場所で高濃度となるような場合に、高暴露集団のリスクを正しく評価できないのはもちろんのこと、日本全体の集団人口リスクについても、一般には、測定局の平均値が全人口の平均値を表しているとは限らないため、物質によっては推定誤差が大きくなることが予想される。

本評価書では、日本全国について広域評価用の大気拡散モデル(AIST−ADMER)を用いて約5 km(東西、南北方向に3次メッシュ区画5個分)の解像度で、また、特に高濃度が懸念される地域については、局所濃度評価用の大気拡散モデル(METI−LIS)を用いて100 mの解像度で大気中(室外空気中)濃度分布を評価することにより、ジクロロメタンに固有の濃度分布と人口分布を考慮して、詳細な暴露・リスク評価を行った。

◆発がんリスクと非発がん性(発がん性以外の)影響リスクを分けて定量的に評価

ジクロロメタンの空気質に関する基準値として、大気環境基準値が年間平均値150μg/m3以下と決定されている。これまでは、この大気環境基準値がリスクの判定や排出削減対策決定のひとつの大きなよりどころになってきたと考えられる。この大気環境基準値は、発がん性以外の有害影響をエンドポイントとしているにもかかわらず、ヒトでの発がん可能性が捨てきれないこと等を理由に追加的な不確実性係数を適用して導出されたものである。

このように、大気環境基準値は、発がん、非発がん性の影響を同時に考慮してひとつの数値に集約されたものであるため、大気環境基準値を越える濃度で暴露されることがどんな意味をもつのかが必ずしも明確ではない。したがって、リスク判定や排出削減対策の意思決定のために、大気環境基準値を越えるかどうかを議論することは必ずしも適切ではないと考えられる。

本評価書では、発がんリスクと非発がん性影響のリスクを分けて定量的に評価することにより、他物質のリスクとの比較や、排出削減対策の意思決定を行いやすくすることを目指した。 

◆リスクに対する事業所の寄与と室内発生源の寄与を明確化

従来、ジクロロメタンについては家庭での排出量が事業所の排出量に比べて圧倒的に小さいことから、室内汚染についてはそれほど注目されてこなかった。しかし、家庭からの排出量は、それ自体は小さくても、居住する空間内での排出であることから室内空気中濃度や暴露濃度への影響は大きい可能性もある。

そこで、本評価書では、室内空気中濃度も考慮して暴露評価を行った。その際、室内空気中濃度は一般に室外発生源の寄与分(室外空気中濃度)と室内発生源の寄与分としてとらえることができることを示し、暴露濃度を室内空気中濃度と大気中(室外空気中)濃度を室内室外生活時間比率(9対1)で加重平均したもので表現することにより、暴露濃度およびそれにともなうリスクを室外発生源(事業所)寄与分と室内発生源寄与分に分けて評価することを可能にした。

◆本リスク評価書の主な結果

表1に、全国におけるヒト健康リスク評価結果を示す。以下のことが分かる。

1) いずれのリスク指標の値も小さい。
2) いずれの指標においても、室外発生源(PRTR対象業種事業所)の寄与率は50パーセント以下であり、家庭からの室内発生源の寄与のほうが大きい。

また、事業所における全国規模の排出削減対策の費用対効果は、効果をリスクの減少としてみる場合には、他物質の削減対策費用と比較して、極端に悪いことがわかった。事業所おける全国規模の排出削減対策については、他に優先させるべき物質があると推定された。

表1 全国におけるヒト健康リスク評価結果

註:括弧内の数値は全国の総人口に対する比率。
1)2001年度の空気中濃度に生涯にわたって暴露されるとした場合のものである。
2)(A)に対する(B)の比として算出。
MOE:暴露マージン  UFs:不確実係数

◆おわりに 

本稿では、丸善株式会社から出版されたジクロロメタンの詳細リスク評価書について、その特徴を中心に紹介した。結果についてもごく簡単に触れたが、紙面が限られているためその導出過程を詳しく紹介することはできなかった。この原稿を読んでいただいただけでは、結果の妥当性について疑問をもたれる方も多いであろう。

是非、本書を実際に手にしていただき、ご自身の目で結果の妥当性を吟味していただきたい。専門分野を異にする7名の方に本書の草案をレビューしていただいた結果報告書とそれらに対するCRMの対応を収録した11章「外部レビュアーの意見書と著者らの対応」は、その際に大いに参考になると思われる。

本評価書は、そこで示す結果をもとに自らが意思決定できるのかということを常に頭において書いた。評価書を書き終えた今の自分なら、仮にジクロロメタンの排出量が日本一大きい(他の物質は排出されていないとする)事業所近辺の居住地に引越しを求められたとしても躊躇せず行くことができると思う。

この評価書が,自分自身の意思決定だけでなく、化学物質の排出削減政策など社会全体の意思決定に少しでも役立つことが出来れば、著者の喜びこれに勝るものはない。

*「詳細リスク評価書シリーズ 4」の出版と同時に「詳細リスク評価書 ジクロロメタン(塩化メチレン」の概要版をCRMインターネットホームページで公開いたします。

*詳細リスク評価書は、(独)新エネルギー・産業技術総合開発機構(NEDO)からの受託研究によるものです。


化学物質リスク管理研究センター

独立行政法人 産業業技術総合研究所