━ リスク評価と人材育成 ━

(株)三菱化学安全科学研究所
リスク評価研究センター

加藤 順子


何年か前に経済産業省の産業構造審議会化学物質小委員会で、リスク評価の人材育成についての議論が行われたことがあった。その中で、リスク評価の中でもハザード評価の鍵を握るトキシコロジーや疫学の研究者がいない、ということが話題になった。我が国ではトキシコロジーは薬学、獣医学、生物学、基礎医学の研究者のごく一部によって担われており、トキシコロジーの専門学部や専門学科というものは存在しない。毒性学が独自の人材育成を必要とする学問領域とは認知されていない、ということができる。

また、疫学は公衆衛生学の一領域であるが、研究自体に費用と時間がかかるため、特別な研究費が獲得できなければ、手がけることが難しい領域である。さらに、データを作るのではなく、データを読み解き、総合してリスク評価文書を作る場面でも、日本は困難を抱えている。リスク評価の中でも暴露評価の分野には、評価手法の開発等、研究者の創意工夫を研究論文として発表できるような要素がある。

しかし、文献情報に基づくハザード評価は、ひたすら論文(殆どが英文)を読み、その内容を把握し、その化学物質がヒトの健康に有害な影響を与えそうか、与えるとしたら、どのような濃度で、どのような影響を与えるのかを、動物実験データ、疫学データ、作用機序に関するデータ、体内動態に関するデータ等から総合的に判断してまとめる地道な作業である。その作業には、最新の生物学から統計解析まで、多岐にわたる学問領域の知識を必要とする。

また、多量の英文を読みこなす英語力も必要である。これらを総合して適切な判断を行うには、ハザード評価文書を作成する担当者のそれなりの力量発揮の場面もある。しかし、独創性を発揮する場面は少なく、従って、論文発表の機会も少ない。多岐にわたる専門領域についての理解力や英語力があり、総合的な判断もできる優秀な人材が、研究者としての道を歩まずに、リスク評価書を作るような地味な作業に進んでくることは、極めて稀なことである。

しかしこの仕事には、研究のような輝かしさはないとしても、国の施策に直結しうる、社会の安全に貢献しうる、というやりがいがある。最近、CRMで作成した詳細リスク評価書が丸善から出版され、注目を集めているとのことである。このようなことにより、リスク評価という作業が世の中に認知され、この領域に魅力を感じる優秀な人材が登場することを切に願ってやまない。


化学物質リスク管理研究センター

独立行政法人 産業業技術総合研究所