北海道工業技術研究所報告71(1998),p23-26: 1HNMRによる定量分析

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平間 康子(低温生物化学部)


1. はじめに

 NMRによるプロトンの定量分析には,通常,既知プロ トン濃度の標準物質を被検試料に加えて吸収スペクトル を測定し,その積分強度を比較する内部標準法が用いら れている。また,簡便法として積分強度の代わりにシグ ナル高を用いることもある。既知プロトン濃度の標準試 料のスペクトルと被検試料のスペクトルとを同一条件で 別々に測定し,両者の積分強度比から被検試料のプロト ン濃度を求める外部標準法は標準物質と被検試料のスぺ クトルの重なりを考慮する必要がないので,標準物質の 選択が容易であり,また毎回標準物質を加える手数もい らず,被検試料の回収も容易であるという利点を持つが, 試料管の寸法が均一なこと,標準及び被検試料のスペク トル測定巾,装置か十分安定で測定条件が変化しないこ とが必要である。我々は,各種純物質のプロトン含有率 を,外部標準と積分強度を用いて定量し,外部標準法に よりプロトン含有率を正確に測定でき,繰り返し測定を 行うことにより市販の試料管を用いて約1%の精密度が 得られることを報告した1。ここでは,試料のプロトン濃 度のごく薄い重水中の軽水(HDO)プロトンの定量方法 とその固体表面水酸基の定量への応用,逆に多量の水の 吸収シグナルが強すぎて問題となる尿中の特定成分の定 量方法と定量結果を報告する。前者の定量には外部標準 と積分強度を用い,尿成分の完量には内部標準とピーク 高を用いた。



2.実験方法

2・1 試料の調整

 シリカゲル(関東化学,クロマト用,表面積450m2/g), 多孔性ガラス(コーニング社製棒状バイコールガラスNo. 7930,表面積154m2/g)は既報2,3の前処理方法により不 純物を除去したものを用いた。軽水H2O蒸留水を用い, 量水D2O,重メタノールCD3ODおよびDSS(CH3)3 SiCH2CH2SO3Naは市販品をそのまま用いた。触媒担体 にはメルク社製クロマト用シリカゲル40を用いた。

2・2 測定装置

 重水中のプロトンの定量にはバリアンA-60,日本電子 JNM-PS-100(以上CW)および JNM-GX-270(FT), 尿成分の定量にはNM-GX-270(FT) NMR 装置を用 いた。重水と軽水の混合物の縦緩和時間 T は日本電子 JNM-FSE-60 を用いインバージョン-リカバリー法で測 定した。



3.結果と考察

3・1 重水中の軽水プロトンの定量

NMRで正確な定量分析をするためには測定のさい吸収 されたエネルギーが周囲に放出されて,もとの平衡状態 に戻る時間(縦緩和時間 T1 はその目安)を知っておく必 要がある。プロトンの縦緩和は主として磁気双極子相互 作用を通して起こるので,縦緩和時間 T1 は観測プロトン の周囲にある磁気双極子の濃度に依存する4。D2O と H2O の混合物では,D の磁気モーメントが小さいため,H2O の濃度の減少とともにプロトンの緩和時間は著しく長 くなる( H と D が速やかに交換しているため単一の緩和 時間が親側される)。Fig.1 に溶存酸素存在下室温で測定 された D2O 〜 H2O 混合物中のプロトンの緩和時間の逆数 をプロトン濃度の関数として示す。縦軸の T1 は実測値, ηは H2O に対する混合物の相対粘性率,横軸は重水中の 軽水の相対体積濃度αである。理論式5に従うと 1/ηT1 は 溶存酸素の影響がない場合にはα=0でおよそ0.013と計 算される。事実,99%以上の D 純度の重水中にある水の プロトンの緩和時間は溶存酸素の影響がない場合には40 秒以上6になると推定される。 Fig.1 では縦軸との交点は 0.078であるから,溶存酸素存在下では常磁性を持つ酸素 分子との相互作用がプロトンの緩和時間を短くし緩和時 間は10数砂程度になることが分かる。即ち Fig.1 の縦軸と の交点の他のうち約0.065が溶存酸素の影響と考えられる。 実際この値は溶存酸素存在下および脱酸素ガス下で測定 した軽水の緩和時間から求まる溶存酸素の影響と一致し た。これらの結果から D2O 中に少量(1%以下)含まれ る軽水( HDO として存在する)の定量には,緩和時間の 影響を避けるため,同程度の濃度の軽水を含む重水を外 部標準試料として用いることにした。外部標準試料は空 気存在下で試料管に付入した。 Fig.2 に同一の外部標準試 料で得られた測定年月日の異なる3本の検量線を示す。 これらの検量線で,積分強度と重水中のプロトン量の間 に良好な直接関係が見られること,検量線の横軸との交 点がほぼ一定なことから試料管に封入した外部標準試料 は長期間使用できることが分かる。今まで得られた検量 線の横軸との交点の平均値は -0.283mmol/ml であった。 これから求まる軽水を添加しないブランクのサンプルに 含まれるプロトン量は H/D 濃度にして0.257%である。 これは市販の重水で保証されている重水素純度から求ま る値にごく近く,サンプル作成時や試料管表面から混入 するプロトン量がごく少ないことが分かる。次に,H-D 交換反応により固体表面の水酸基量を求めるのに,この H2O/D2O 標準試料を用いてNMRで定量する方法を検討 した。


Fig.1 Reciprocalof the product of the proton relaxation time, T1 (which contains the contribution from dissolved O2, and the relative viscosity,η, against relative volume concentration, α, of H2O in H2O and D2 mixtures


Fig.2 Calibration lines for proton concentration in H2O and D2O mixtures. Three lines were measured tor the same standard samples in different years

Table 1 Reproducibility of the H−D exchange and 1H NMR method for the determination of surface hydroxyl groups on silica gel*
        [mmole/g]
SampleRun1Run2Run3Average
No.11.791.97 1.88
No.21.771.90 1.84
No.31.841.79 1.32
No.4  1.84 
Nn.5  2.01 
No.6  2.05 
*Silica was dried in vacuo at 573K for 20 hours.

3・1・1 シリカゲル表面水酸基の定量

シリカゲル1gを573Kで真空乾燥した後,2.5ml の重 水に浸し,シリカゲル表面水酸基のプロトンと重水との H-D 交換により重水中に遊離したプロトン量を NMR で 定量して,表面水酸量を求めた。H-D 交換反応は10分以 内で平衡に達することが分かった。本測定におけるよう に重水大過剰の下では交換反応はほとんど完結しており 従って交換量と表面シラノール基の量は一致するといえ る。Table 1 にこの定量法を用いた場合の結果の再現性を 示す。試料 No.1,No.2,No.3 は前処埋操作から別々に 調整したものである。Run 1,Run 2 の測定は測定日が 異なり,同じ標準試料を用いて定量している。試料No.4, No.5,No.6 を用いた Run 3 の測定は試料の調整,標準 試料の作成,NMR 測定を荊回とは全く別に行ったもの である。試料の作成と NMR 測定で入る誤差は数%程度 であることがわかる。得られた表面水酸基の平均量 1.88 mmole/g は金属ナトリウム液安溶液との反応を用いて求 まる値2 1.85mmole/g と良く一致し,この方法が同体表 面の水酸基の定量に利用できることが分かった。

3・1・2 バイコールガラスおよび触媒担体の表面水酸基の定量

多孔性ガラス細孔中の水の挙動をガラス表面の性質と 関連づけて考察3するために,多孔性ガラスをヘキサメチ ルジシラザンで表面処理し,ガラス表面に残った水酸基 量を前述の H-D 交換法を用いて NMR で定量した。表面 処埋ガラス細孔には D2O が浸透しなくなるので D2O の代 わりに重メタノール CD3OD を用い,CD3OD 中に移った プロトンを定量した。その場今の外部標準試料には H2O を重メタノールに溶かしたものを用いた。精製バイコー ルガラスの表面水酸基量は H2O/D2O および H2O/CD3OD 両標準試料を用いて定量した。各3回の測定で両者の 結果は一致し,473Kで真空乾燥したパイコールガラスの 表面水酸基量は 2.3±0.1個/nm2であった。Fig.3 に表面 処理ガラスで定量された残存 OH 基量と処理液濃度の関 係を示す。大過剰のヘキサメチルジシラザンで処理した 場合でもガラス表面には約1.0個/nm2が残存することが 分かる。この事実は赤外吸収スペクトルで表面水酸基が 観測されることにより裏付けられた。 モリブデン錯休を金属板化物担体に凶志する固定化反 応には担体の表面水酸基がもちし1られる。国定化反応を 定景的に検討するために,担体の表面水酸基の定量をお こなった。Table 2に前処理温度の異なるシリカケル担体 表面水酸基の定量結果をLめす。才く外スペクトルからH23K で前処理Lたシリカゲルには孤有7Jく酸基のみ存在するこ とが分かったので,823Kの表面水酸基の定量他を用いて シリカ表面孤立水酸基の赤外吸収モル積分強度を算出し, 4.4×103liters mole-1cm-1 が得られた。この赤外モル吸 収強度を用いることにより固定化反応を赤外吸収スペク トルで定量的に検討できるようになり,モリブデンがシ リカ表面の孤立水酸基と1対1で反応していることが分 かった。


Fig.3 The numbers of surface hydroxyls on Vycor glass treated with different hexamethyldisilazane (HMDS) concentrations. □:results from H-D exchange with D2O and use ot H2O/D2O external standards. ○:results from H-D exchange with CD3OD and use ot H2O/CD3OD external standards

Table 2 Surface hydroxyls on sillica gel pretreated at different temperatures, determined by H-D exchange and 1H NMR measurement
Pretreated temperature [K]523598673823
Surface hydroxyls [mmole/g]3.172.321.471.03


3・3 尿成分の定量分析

尿の検査法には試験紙による方法や生化学的分析法が 用いられているが,NMR を用いると抽出,分離,精製な どの煩雑な前処理なしに,尿中のいろいろな化学成分を 同時に同定,定量できる7。東洋医学的パターン(証)と の相関の有無を観察するため尿中の特異的成分の定量分 析を行った8尿試料を前処理なしに NMR で測定する場 合,試料中の水の大きな吸収が他の成分のシグナルの観 測を妨げるため,水のシグナルを選択的にラジオ波照射 して除去する測定法 homograted decoupling 法を用いた。 この方法では水(約4.8ppm)の近傍のシグナルの強度が 照射ラジオ波の影響を受けるので,その影響があまり大 きくならないように照射ラジオ披の強度を選択した。こ れにより0〜4.5ppm 及び6.5ppm より低磁場のシグナル が観測できた。また,尿試料の pH はサンプルごとに異な るのでシグナルを同定するため予め各化学成分のケミカ ルシフトの pH 依存性が測定された9。尿と磁場ロック用 に少量加えた重水の割合を一定にし,ケミカルシフトの 基準物質 DSS のメチルプロトンの濃度が 1mM となるよ うに秤量して定量の基準とLても用いた。尿試料では3 ppm−4ppm に多数のシグナルが重なり合ってブロード な吸収を示し基線が平らにならないため積分曲線を描く のが困難であるとか,ごく近いシグナルの間では積分値 の分離か難しいなどの理由で,多数の試料で特定の成分 を定量する場合,積分法よりもピーク高さの比較法を用 いた方が便利であった。Table 3 にビータ高さ及び積分か ら求めた定量値の比較例を示す。両方法の他は±5%以 内で一致し,ピーク高さの比較法を用いることができる ことがわかった。尿の濃度はサンプル毎に異なりクレア チニンの濃度で約2−40mMと20倍ほどの差があった。 通常の試料では照射強度や積算回数などの異なる条件で 測定しても,結果は ±5% 以内に入った。ごく薄い試料 では測定条件が同じでも繰り返し測定の結果がこの範囲 を越えることがあった。

Table 3 Comparison of relative peak height with relative integrated intensity for 1H NMR of urine components
Components
(chemical shift, ppm)
Relative peak heightRelative integrated intensityConcentration in urine(mM)
DSS (O)1.01.0 
alanine (1.46, 1.48; CH3)1.51.0.63
citric acid (2.50, 2.67; CH2)7.07.24.3
creatine (3.03; CH3)384116.1
creatinine (3.04; CH3)454518.3
TMAO* (3.27; 3CH3)939012.4
*TMAO: trimethylamine oxide



4.まとめ

プロトン濃度が低いため緩和時間が長い重水中の水プ ロトンの定量に同程度の濃度の水を含み従ってサンプル と同程度の緩和時間を持つ外部標準を用いた。この方法 を用いてシリカあるいはガラスの表面水酸基のようなご く少量のプロトンを重水中に抽出して定量し,得られた 結果は他の方法から得られた値と良く一致した。一方, 強い吸収を持つ水多量の多成分系である尿成分の定量で は,定量に用いた内部標準ピークと同様の鋭い吸収線を 用いればピーク高の比較で積分法と変わらぬ結果が行ら れた。外部標準法では測定装置系の変動をチェックする ため試料の測定の間に標準試料の測定を入れた方がよい。 このような注意を払って測定すれば実際の系でも数%の 精度で定量できることが分かった。



参考文献

  1. 佐藤俊夫,井上康子:工業化学雑誌,68,1401(1965)
  2. 佐藤俊夫,大越純雄,平間康子:口分化道支部第23回研究発表会 B9,1970(札幌)
  3. Hirama, Y., Takahashi, T,. Hino, M,. and Sato, T.: J. Colloid Interface Sci. 184, 346(1996)
  4. Pople, J. A., Schneider, W. G., and Bernstein, H. J.: ‘High-resolution Nuclear Magnetic Resonance’p.207. McGRAW-HILL BOOK COMPANY, INC., New York/Tronto/London, 1959
  5. Abragam, A., ‘The principles2> of Nuclear Magnetism’p.328. Oxford at The Clarendon Press, 1961
  6. Anderson, W. A., and Amold, J. T.: Phys. Rev. 101, 511(1956)
  7. >
  8. 逢坂 昭,吉川研一:ぶんせき,1983,840
  9. 藤野珠子,平間康子,榊力就子,上平 恒:東洋医学とペインクリニック,24,218(1994)
  10. Hirama, Y., Shinriki, N., Fujino, T., andl Uedaira, H.: Physiol. Chem. Phys. and Med. NMR, 25, 209(1993)