固体無煙燃料工業に関する調査第2報
-ドイツの低温タール工業-

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館林昌平
1962年1月 北海道工業開発試験所技術資料 4,50-99

 液体燃料の急激な需要を満たすため、1933年〜45年にわたって低温タール工業が急速に開発され、1943年における低温タールの生産量は高温タールをしのぐものがあった。 1933年から第2次大戦突入まで主に建設された乾留炉はLurgi式で、原料炭は主として褐炭であった。 粘結性の瀝青炭を乾留するKrupp-Lurgi式の2工場もこの期間中に建設され、この1工場の生産能力は戦時中に拡張された。 Krupp-Lurgi式は戦時中粘結性瀝青炭を低温乾留した唯一の実際的方法であった。 終戦時に建設途上にあった工場はすべて瀝青炭を乾留する目的のものであった。 移動壁を有する金属レトルトがBrennstoff-Technik社によって開発され、2工場が建設中であった。
 Heinrich Koppers社とDidier社がそれぞれ連続式堅型の耐火煉瓦製炉の建設を行っていた。 低温タール全量の76%は水素化分解によって自動車燃料となり、約1%は直接燃料油に使用され、残りの23%が燃料油とパラフィンの原料となった。 パラフィン製造には旧式の蒸留装置と脱臘装置が使用されたが、戦時中Espenhainに新しい工場が建設され、Edeleanu社が開発した新しい蒸留方式と溶剤抽出法が採用された。 低温乾留工場と水添工場の廃水処理は難しい間題であったがI.G.FarbenindustrieとLurgi社が開発したPhenosolvan法によって廃水中のフェノールの回収が有効に行われた。