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<Nov. 8th, 2010> |
![]() --第1回--
このたび、ヒューマンライフテクノロジー研究部門のホームページでは、「リサーチトピック」というタイトルで、部門内の研究について紹介していくことになりました。
「リサーチトピック」では、ヒューマンライフテクノロジー研究部門で行われている研究の内容や成果をインタビュー形式で、できるかぎりやさしく紹介して行くとともに、研究の中での苦労話や実験上の工夫などについても合わせて紹介していきたいと思っています。どうぞ宜しくお願い致します。
紹介の第一弾は、システム脳科学研究グループの肥後範行さんと村田弓さんのお二人が手掛けられている:
「脳の可塑性と機能回復メカニズムに関する研究」
です。ここでは、病気や事故などがもとで、脳や脊髄に損傷を受け体に麻痺が残った人に効果的な機能回復の処方に繋げるための基礎的な研究が行なわれています。
■まず研究のタイトルにある「脳の可塑性」とはどのような意味なのかでしょうか? 辞書には、可塑性とは「固体に外力を加えて変形させ、力を取り去ってももとに戻らない性質」とあり、「機能回復」とは逆のことを意味しているようにも思えるのですが。
「可塑性」とは英語の「plasticity」に対する日本語として使っているのですが、plasticity には「柔軟性」「適応性」という意味があります。つまり「脳の可塑性」とは「脳の柔軟性・適応性」という意味で、使っています。ちなみに、「可塑性」には「色々な形に変化し得る性質」という意味もあり、柔軟性、適応性という言葉に近い意味も持っており、「脳の可塑性」と言った場合、こちらの意味あいが強いのではないかとも思います。
脳や脊髄が損傷を受けた場合、損傷した部分は元には戻らないのですが、訓練や学習により損傷を受けていない部分を活性化させ、損傷部分の機能を補うように働かせることで、機能の回復を図ろうとするのがこの研究の目的で、この意味では、脳や脊髄細胞のもつ柔軟性や適応性に注目し、その性質をうまく利用することを考えた研究ということもでき、こうした意味からも可塑性という言葉を使っています。
■研究の内容をやさしく解説してください。
脳や脊髄に損傷を受けると、運動や感覚機能に非常に重大な障害を与えることになります。しかし、その後にある程度の機能回復を示すことがあります。スーパーマンで有名な米国の映画俳優、故クリストファー・リーヴ(Christopher Reeve)は落馬事故で受けた脊髄損傷により首から下が麻痺状態になってしまいました。しかし、その後の治療や訓練により一部の手指動作や感覚機能を回復させることができたと言われています。この事実は当時の医学的常識では考えられないことだったそうです。なぜ脊髄という情報伝達経路が断絶されたのにもかかわらず機能的に回復するのか、そのメカニズムがわかれば、より効果的な機能回復手段の開発につながることが期待されます。
そこで私たちは、脳や脊椎に損傷を与えた動物を使って、機能回復時に脳や脊髄で生ずる変化を調べてきました。研究の出口を見据え、ヒトに近い筋骨格系をもつサルを使い、第一次運動野と呼ばれる運動の遂行に重要な役割を果たす脳領域に薬物による損傷を与え、一時的に運動麻痺を生じさせます。しかし、その後、積極的な運動トレーニングを行うことによって、手や指の巧緻動作が回復することが明らかになりました。より具体的には、第一次運動野指領域の損傷後に積極的な運動トレーニングを行った個体群と、運動トレーニングを行わなかった個体群の間で回復過程を比較したところ、全ての個体で第一次運動野の損傷直後に指運動の完全麻痺が生じ、その後運動機能の回復が見られました。損傷後2−3週間で両群ともに指の動きが多く見られるようになり、把握運動課題の成功率は、損傷前の8−9割程度にまで回復しました。ただ損傷前は拇指(親指)と示指(人差し指)の対向による指先での把握(いわゆるつまみ動作)が見られたのに対して、この時期には親指と人差し指による「つまみ動作」が見られず、親指の背側面で把持する代償的な把握が多く見られました。その後トレーニングを行った群では代償的な把握の割合が減少し、つまみ動作の割合が増加するのに対し、トレーニングを行わなかった個体群では代償的な把握の割合が高いまま推移し、精密把握がほとんど見られませんでした。これらの実験結果から、第一次運動野損傷後の回復、とくに精密把握動作(つまみ動作)の回復は積極的な運動トレーニングによって促進される可能性が示されました。
一方、幼児期の脳はたとえ損傷を受けたとしても、高い回復能力を持っているといわれています。そのメカニズムが明らかになれば、大人や老人の脳において低下している脳の機能をよみがえらせることができるかもしれません。幼児期の脳において神経可塑性に関わる遺伝子発現(遺伝子の情報が神経細胞の構造変化を起こすこと)を調べたところ、一部の遺伝子の発現は出生後一過性に上昇し、神経回路形成が終了した後も高い発現を保つことが明らかになりました。これらの遺伝子発現が幼児期の脳で見られる高い可塑性の物質基盤になっている可能性が考えられます。
こうしたことから、現在、損傷後に運動トレーニングを行うタイミングによって、運動機能の回復がどのような影響を受けるのかについて、遺伝子レベルでの研究を進めています。遺伝子の変化を調べることで、脳や脊髄を構成している細胞レベルでの変化の状態を明らかにすることができ、更には、その遺伝子を活性化する方法が見つかれば、より効果的な機能回復に繋げることができると考えています。
■お二人は共同でこの研究を進められておりますが、このような研究に入られたきっかけは随分異なるとお聞きしましたが。
私(村田さん)は、もともと作業療法士です。大学の卒業研究でついた先生方が神経生理学の専門で、「そもそも体が動くというのは脳の働きによるものであり、トレーニングで機能が回復するということにも脳が深く関係している」と教えられ、患者さんが行うリハビリトレーニングが身体機能の回復にどのような効果を生んでいるかを、外から見える動作だけでなく、そうした動作の情報を発している脳に対してどのような影響を与えているのかを知りたくなり、この分野の研究に興味を持ちました。リハビリトレーニングの効果を脳科学の分野から見直すことで、より効果的な訓練法なり機能回復の方法が見つけられるのではないかと考えたからです。こうした考えからこの道に入るひとは全体としてはそれほど多いわけではありませんが、この研究室(システム脳科学研究グループ)には、理学療法士出身者が5名ほどいます。
私(肥後さん)の方は、もともと、理学部の生物科学の出身で、純粋に基礎科学的興味から脳の研究を行うようになりました。研究対象として脳を選んだのは哲学的意味での人間の心の問題を扱ってみたいという興味もあったからです。脳科学と言ってもかなり範囲が広く、具体的研究対象をどこに置くか悩んだのですが、「脳の可塑性」、つまり、外界の状況に応じて脳が変化することに興味を感じこの道に入りました。「脳の可塑性」を研究対象としたのには、「哲学的意味での人間の心の問題」にも通ずるテーマだと考えたからです。当初、自己の興味としては、記憶や学習に関する脳の可塑性にあったのですが、記憶・学習による脳の変化は極めて小さいため、より変化の大きい脳や脊髄の損傷後の回復過程を対象に研究をするようになりました。これは、研究のやり易さもあるのですが、それだけでなく、同じことを研究するなら、世の中に役に立つ、ここでは障害を抱える人のための効率的リハビリ法の開発などに繋がる研究をやって行きたいという思いからです。
■研究ではサルを使って実験をされていますが、サルにタスクを教えるのは大変なご苦労があると思うのですが、これを含めて、研究上でのご苦労されていることについてお聞かせください。
実験動物としてのサルの具体的なトレーニング法は研究内容などにより異なり、また、大学や研究室によっても微妙な違いはあるようですが、大まかなプロセスとしてはどこでもそう大きくは変わらないと思います。
基本は、まず、そのサルと信頼関係を作ることです。サルとの信頼関係が確立できれば、被験者となるサルを、ストレスのない最適なコンディションに近い状態にすることができます。こうした環境を作った上でタスクを教えます。教え方は、「褒めて伸ばす」が基本で、うまくできたときのご褒美だけで訓練することになり、時間もかかります。ときには、サルが必要なタスクをこなせるようになるまでに1年以上かかる場合もあります。
このように多くの時間をかけ貴重な動物から取得したデータをきちんと論文にして公表し、将来の「効果的リハビリ技法の開発」に役立つ情報を社会に発信していくことが私たち研究者の義務であると考えています。
また、解析における苦労話ということでは、サルの機能回復過程を分析する際に、動作の違いがあることはわかるのですが、それを定量的に示すことが難しく苦労しました。これは、以前、患者さんに接していた時にも同じ経験をしたのですが、リハビリの世界では、患者さんの回復訓練の状況やそれによる回復の程度を正確に主治医の先生や患者さんに説明し、改善したことを知ってもらうことが大事なのですが、それを客観的に説明することが難しく、回復の程度を数値などで表現できたらと思っていました。最近の実験ではこの回復の程度を、把持方法の分類と成功率(円筒の孔から小球状の餌をとりだす際の成功率)を使って、数値で表現することができ、機能回復のプロセスの定量評価のひとつの手法が確立できたと考えています。
■最後に、この研究の今後の展開や将来の夢などについてお聞かせください。
今後の展開という意味では、ふたりの考え方は少々異なっています。
私(肥後さん)は、当面は、脊髄損傷後の機能改善に必要な「残存経路の強化」を誘導する遺伝子の特定・選別に力を注ぎたいと考えています。こうした遺伝子を網羅的に探し明らかにすることで、細胞レベルで何が起きているかを詳細に知ることができると考えているからです。また、こうした遺伝子発現のメカニズムが明らかになることで、将来回復を促進する薬品の開発などにもつなげることができると考えています。夢という意味では、この道に入った動機でもある、脳が外界からこんな刺激を受けると神経細胞がこうした変化をし、それが行動にこのような変化として現れるといった、記憶や学習のメカニズムを明らかにできたらとも考えています。
私(村田さん)は、やはり、こうした脳研究の成果を、リハビリの世界に繋げて行きたいと思っています。具体的には、リハビリをすることで、脳細胞がどんなプロセスを経て回復して行くのか、リハビリをしない場合とする場合で脳の可塑的変化がどの程度異なるのかを明らかにし、こうした知見を具体的なリハビリトレーニングに応用できるようにしていきたいと考えています。また、夢としては、基礎研究と臨床研究が融合し、より患者さん個人にあったリハビリが提供できるような仕組みを作ること、例えば、損傷領域や程度によりリハビリのメニューが選べるようになること。薬や電気・磁気刺激などにより、脳に刺激を与えることで機能回復を促進させる技術の開発につなげたいとも思っています。
■リハビリというと外からの物理的な運動などによって筋力強化を図るというイメージが強く、リハビリのプロセスやそれによる機能回復に遺伝子が関与しているということには大変驚かされました。「脳の可塑性と機能回復メカニズムに関する研究」が進展し、身体麻痺が薬で治る時代が早く訪れるように頑張って頂きたいと思います。
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