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2008/1/18 引用文献を修正しました
2007/10/26公開(10/29一部修正)


−御前崎周辺の地形と地層が示す隆起現象−

藤原 治(海溝型地震履歴研究チーム)

要 旨

・静岡県中部の御前崎周辺の地形と地層の研究から,歴史時代の大地震とは異なるタイプの大きな隆起を伴う地震の存在が浮かび上がってきた.

・この隆起イベントは過去7000年間に4-5回発生したと推定される.

・大きな隆起をもたらした地震の規模は,現在のデータのみからは分からない.


1.はじめに

 調査地域は静岡県中部の御前崎周辺である(図1).この地域には4段の海岸段丘が分布することが知られている(例えば,杉山ほか,1988).図2の地形断面を見ると,陸側から海側へ順番に高度を下げる4段の階段状の地形が良く分かる.
 これらの段丘は主に地形学的調査によって,過去約7000年間に形成されたと推定されている(例えば,吾妻ほか,2005).しかし,これらの段丘は強風で運ばれた砂(風成砂)などによって厚く覆われているために,何時海底から陸になった(離水した)か,またどの程度隆起したのかはよく分かっていなかった.
 本研究では,段丘の上からボーリング調査を行い,海で堆積した地層とそれを覆う陸上で堆積した地層の境界を確認することを試みた.また,この境界の年代を放射性炭素年代測定によって推定した.


2.調査地域の地形とボーリング地点

 図2に示す測線に沿っては,太平洋岸の新神子周辺では明瞭な4段の海岸段丘が認められる.内陸側の堀野新田周辺でも標高13-14 m付近に平坦面が認められる.吾妻ほか(2005)に従い,段丘面に高い方から順に I 〜IVの番号を付けた.

 いずれの段丘も海側の縁に砂丘の高まりがある.砂丘の背後の平坦な地形面の高度で見ると,最も高い段丘面は標高14 mに達する.図3には新神子 II 面の様子を示す.写真は西を望む方向で撮影した.画面右側(北側)に藪で覆われた急な斜面(砂丘)があり,その上には一段高い新神子 I 面が分布する.写真の左端にも藪で覆われた直線状の砂丘の高まりが見え,その海側には一段低い新神子 III 面が分布する.

 ボーリング調査は図1に示す6地点で行った.そのうち,海の地層と陸の地層の境界が確認されたボーリングコアを図4の地形断面図に投影した.HB地点では,米倉ほか(1985)によるボーリングが行われており,海−陸境界の認定にはそのデータも参考にした.


3.調査結果  

 海−陸境界を含む代表的なボーリングコアの写真を図5に示す.また,海−陸境界の標高と年代データを図4に示す.

 新神子 II 面では,海で堆積したと考えられる円礫層と,それを覆う陸で堆積した地層(有機質の砂泥層や砂層からなる)が確認された.海−陸境界の標高は6.5-6.9 mである.境界の直上の地層からは3020-2880BCの年代測定値が得られた.

 新神子 III 面では,波打ち際付近で堆積したことを示す化石や堆積構造を持つ砂層と,それを覆う陸で堆積した地層(有機質の砂泥層や砂層)が確認された.その境界の標高は,3.1-3.2 mである.海−陸境界の約1.7m上位の地層からは370-190BCの年代測定値が得られた.

 新神子 I 面では海で堆積したと考えられる円礫層の上部が侵食されており,海−陸界の高さを正確に決められなかった.この円礫層の上限は標高約4.8 mで,その上に標高7.9 m付近まで水中で堆積したことを示す堆積構造を持つ砂層が重なる.この砂層が海岸で堆積したのか,それとも河川の影響で堆積したのかは分からない.標高7.9 m以上は陸で堆積した地層(有機質の砂泥層や砂層)である.

 堀野新田 I 面では,内湾奥の干潟や湿地で堆積したと推定される泥層と,それを覆う陸で堆積した地層(泥炭層や砂層)が確認された.海−陸境界の標高は米倉ほか(1985)も参考にすると,2.8 m前後である.海−陸境界の年代は,複数の年代測定の結果から2000-1800BC頃と推定される(藤原ほか,2006など).


4.各段丘の離水時期と累積隆起量

 調査地域が大きく隆起して海浜から陸へと変化(離水)した時期が推定できるのは,図6に実線の枠で示した3つの段丘である.年代が古い順に述べると次のようになる.新神子 II 面は3000-2800BC頃に離水し,現在までの累積隆起量は6.5-6.9 mと推定される.堀野新田 I 面は2000-1800BC頃に離水し,累積隆起量は2.8 m前後と推定される.新神子 III 面は400BC頃に離水し,累積隆起量は3.1-3.2 mと推定される.

 ただし,新神子III面と堀野新田I面の対比には問題がある.新神子III面の海−陸境界は年代値が得られた層準より低く,その年代は400BCより古い可能性もある.また,堀野新田I面では内湾泥層の上部に侵食面が認められることから,本来の海−陸境界はより高く,その年代も1800BCより若い可能性がある.年代値の推定範囲などによっては,新神子III面と堀野新田I面が同時に離水したとする解釈と,別々の時代に離水したとする解釈の両方があり得る.

 新神子 I 面の離水時期は,約7000年前の海面が高かった時期以降で新神子 II 面より前と推定される.また,新神子IV面の離水時期は,新神子 III 面より後で,1707年宝永地震よりも前と推定される.宝永地震より前と言えるのは,後述のように宝永地震の痕跡は地形としては知られていないからである.


5.1707年宝永地震,1854年安政東海地震との違い

 御前崎周辺は1707年宝永地震と1854年安政東海地震ではおよそ1 m前後隆起した(例えば,石橋,1984;宇佐美,2003).しかし,これらの地震隆起の痕跡は地形としては殆んど残っていない.御前崎周辺は,フィリピン海プレートの沈み込みに伴って年に数mmから1cm近い速さで沈降しているため,歴史地震による隆起は次の地震までの沈降によって相殺されたと考えられる.
 ところが,上述のように地形や地層の研究からは,数千年間に数m以上の隆起が累積していることが分かる.地形面や海−陸境界の高さが階段状に分布する(図2)ことから,隆起の累積は間欠的に起こっていると考えられる.
 波浪や海流による侵食を免れて海岸段丘が保存されるには,地震間の沈降量を上回る大きな隆起が必要である.このことから,歴史記録に残っている地震のくり返しより一桁長い千年オーダーの時間スケールで見ると,御前崎の地形的高まりを作る別の隆起イベントが想定される(吾妻ほか,2005;藤原ほか,2007).


6.段丘の離水は超巨大地震を意味するか?

 御前崎が局地的に大きく隆起したからと言って,それが超巨大な地震を意味するとは限らない.地震の規模は,断層が動いた範囲の大きさと滑った量に比例する.地震の規模がどうであったかを推定するには,御前崎で認められる隆起が,どのような範囲に広がっているかを広域に調査する必要がある.

 プレート間地震に伴って半島先端部が大きく隆起する現象は,1703年元禄関東地震(Matsuda et al., 1978)や室戸岬の完新世段丘(たとえば,前杢,2001)などの例もある.こうした局地的で大きな隆起は,プレート間地震そのものではなく,プレート間の巨大断層から枝分かれする陸側プレート内の高角逆断層が滑ることで説明する考えもある(たとえば,米倉,1979;島崎,1980,杉山,1992).

 つまり,海岸の隆起と言う観点からは,海溝周辺で起こる地震には,陸側プレート内の高角逆断層の活動を伴うものと伴わないものの2種類が存在すると考えられる.これらの逆断層の活動は,プレート間地震の何回かに一度の割合で“付き合って”起こると考えられている.安政東海地震や宝永地震は高角逆断層の活動を伴わなかったが,ここで述べた海岸段丘を隆起させた地震は,その活動を伴ったと解釈することも出来る.


本研究は(独)原子力安全基盤機構の委託研究(H18年度原子力安全基盤調査研究(地学データによる南海トラフの地震の多様性解読に関する研究;代表機関北海道大学)の成果の一部である.


引用文献

吾妻 崇ほか(2005)第四紀研究,44,169-176.

藤原 治ほか(2006)月刊地球,28,577-581.

藤原 治ほか(2007)科学,77,1237-1239.

石橋克彦(1984)第四紀研究,23,105-110.

前杢英明(2001)地学雑誌,110,479-490.

Matsuda, T. et al. (1978) Geol. Soc. Amer. Bull., 89, 1610-1618.

島崎邦彦(1980)月刊地球,2,17-24.

杉山雄一(1992)地質学論集,40号,219-233.

杉山雄一ほか(1988)御前崎地域の地質.(5万分の1地質図幅),地質調査所.

宇佐美龍夫(2003)最新版日本被害地震総覧[416]-2001.東京大学出版会,605pp.

米倉伸之(1979)月刊地球,1,822-829.

米倉伸之ほか(1985)昭和58・59年度東京大学特定研究費成果報告書「最終氷期以降の自然環境の変動」,35-80.



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